浮世を忘れなければ、天国の境界(きょうがい)に
達することは出来ません。同じことが聖書にもあります。
「汝は神と富の両方に仕えることは出来ない」と。

~スプリームマスター チンハイ


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   世界を捨てて天国に生きる - 2002年アメリカ・フロリダ クリスマス国際禅

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   ロサンゼルス音楽週間と、ロサンゼルス市によるスプリームマスター チンハイ表彰

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ニュースマガジン  141号
2003年2月10日 出版
1990年4月1日 創刊
発行所: The Supreme Master Ching Hai インターナショナルアソシエーション出版 会社
発行者: 謝 幸玲


スプリームマスター チンハイニュースマガジンは、中国語、英語、オウラック語(ベトナム語)、フランス語、ドイツ語、インドネシア語、ポルトガル語、韓国語、タイ語、スペイン語、日本語に翻訳されています。また、インターネットでダウンロードできます。「観音wwwサイト」のページをご覧ください。

  

特集記事

世界を捨てて天国に生きる


      - 2002年 アメリカ・フロリダ クリスマス国際禅

                アメリカ・ニュース・グループ(英語)

  かつてマスターは、もし私たちが自らの内面に神の王国を保っていれば、私たちが行く所はどこでも、そこは天国になるでしょう、とおっしゃいました。2002年12月24日から28日までの5日間、フロリダセンターで開催された「メリークリスマス」国際禅は喜びに満ちた天国の助言でした。それは、私たちが心の底からすべて神に集中し、熱心に霊性の成長に努めれば、それ(文頭のマスターの言葉:内面に神の王国を保てば、行く先々が天国になるということ)が可能になるということです。

  それまでのリトリートと違って、今回のクリスマス・リトリートではかなり厳しいルールが課され、マスターは、昔の武道のことわざ「予期しないことを予想する」を実践するため、参加者たちに一連の啓蒙的なハプニングを体験させました。例えば初日にはこのリトリートは沈黙であることが言い渡され、スタッフが仕事や運営を遂行するための会話や、ワーキンググループ同士の必要な連絡以外、一切の会話が禁止されました。その他、いつもと違ってマスターと修行仲間たちとの交流も比較的少ないものでした。(メディテーションとメディテーションの間に、各国からの民族グループ別の面会時にそれぞれわずか1、2度お話しただけでした) 加えて、マスターは参加者に対して年齢制限を設けました。高齢者や年少者に見られる病気や、厳しい条件のために起こる注意力散漫などをコントロールするためです。また、クリスマスパーティや歌や踊りといった出し物もありませんでした。これらの新しい制度は、すべて修行者たちに、自発的になり、定着してしまった考え方を打ち破り、完全に世俗のことを切り捨てて神に集中することを教え、また、今後のリトリートの新しい形を作る、貴重なレッスンとなりました。

  幸せな雰囲気は、これまでの休日リトリートの特徴でしたが、沈黙と無言の内に指示に従うことでますます強調されたため、その様子はずっと控えめなものになりました。フロリダセンターの明るくて色彩にあふれた飾りが、リトリートをまるで伝統的なクリスマス・フェスティバルのように見せ、小さな白いライトで飾られている、木々や芝生や樹木に、色彩あふれるキラキラした彫刻が並べられ、マスターの本、テープ、芸術作品、セレスチャル・クローズやジュエリーといった活気に満ちた展示物が、きちんとした色とりどりのブースに陳列されていました。およそ1,400名の仲間たちがヨーロッパ、アジア、オセアニア、アフリカ、中央・南アメリカ、そして北アメリカの各地から参加してきました。


               無言の至福で始まる



  リトリートの初日、マスターは午後と夕方のセッションで弟子たちと共にメディテーションをしたものの、各々のセッションが終わるとすぐに立ち去りました。この日マスターは仲間たちに一言も話しませんでした。そして、これは確かに沈黙のリトリートであり、私たちが内在の神のパワーに強烈に集中するよう手助けするためのものだと、全員が感じ取りました。

  翌日はクリスマスでした。マスターはオゥラックの修行仲間に午後会いに来ることを許可し、今回、年少者と高齢者の参加を認めなかった理由を述べました。子供たちは遊んでしまうために、今回のリトリートは適切ではなく、また、天候があまり良くない上に長時間のメディテーションが課せられるので、高齢者にも適さないと説明しました。そして、私たちにマスターが良い指導者になってもらいたいかと尋ねました。マスターは良い指導者になるべきなので、リトリートのルールを厳しく変えるという神の指示に従わなくてはならないと述べました。なぜならば、メディテーションはとても大切なものだからです。そしてマスターは、私たちに修行の目的と、リトリートのゴールを思い出させてくれました。つまり「真我」を見つけ出すことです。それで、私たちは真剣にメディテーションをする必要があるのです。誠心誠意で、長時間メディテーションできる人だけが今回のリトリートに参加することが許されました。私たちは自分自身を引き上げなければなりません。まず自分を引き上げられなければ、どうやって愛する人たちを引き上げることができるでしょうか。私たちは真面目にこつこつとメディテーションし、修行に対して真剣になり、そのことだけに注意を払わなければなりません。それは決して利己的なことではなく、本当の自分を見出し、私たち本来の神の本質を取り戻すためなのです。

  マスターはまた、マスター自身が街で貧しい人や空腹を抱えた人をどのようにして助けたかを話しました。本当に必要としていると感じたら食物やお金を与え、彼らの食べる姿やその時の顔に浮かぶ喜びを見るだけでとても幸せになったということでした。必要とする人に与えるということは私たちにとって十分な報酬であり、お腹を空かしている誰かのためにハンバーガーを買わなければならない場合でさえ、マスターは喜んでそのカルマを引き受けると話しました。

  またマスターは、霊性のマスターすべてが100%の悟りを開いているわけではないということを明らかにしました。現在のところ、インド在住の一人の若いマスターだけが観音法門を通じて70%の悟りに到達していて(有名なマスターの中では最上位!)この世界では100%の悟りを開いているマスターが一人いることさえも滅多になく、私たち観音家族はかなり悟りを開いているグループであるということです。私たちの仲間の中に60%の悟りに達した人が何人かいると嬉しそうに教えてくれました。ある長住は初めにマスターの所にやってきた時、すでに40%の悟りを得ていましたが、マスターに助けを受けて約10年経過した今、その人は60%に到達しました。付け加えて20%の悟りを獲得するだけでも非常に素晴らしい進歩であり、私たちの貴重な法門がなければ、たった1%のレベルアップでさえ難しいと述べました。

  マスターは次に、規則正しいメディテーションの身に付け方を伝授しました。もし頭脳がメディテーションに抵抗するのなら、私たちは頭脳が聞きたがる言葉を与えます。例えば、「メディテーション時間」という代わりに、「休憩時間」や「リラックスタイム」といいます。また、近頃メディテーションがとても一般的になっているのは、人生のあらゆる方面において私たちにより多くの成功をもたらしてくれているからです。——肉体的により健康になり、精神がより発展するなど、私たちがメディテーションをすると、私たちを取り巻くすべてに利益をもたらします。例えば枯れかかった小さな植物の横でマスターがメディテーションをしていました。するとその植物は、マスターのメディテーションのおかげで生き生きと蘇り、とても元気になって、すごい速度で成長していったのです。でも本当は私たち自身にこそ、最も利益があるのです。ですから私たちはメディテーションの時間を、この宇宙の中で最も貴重な宝石と見なすべきです。そしてその宝石は、どんな人であろうと私たちに与えることはできないのです。そして、頭脳が「貴重な宝石」、あるいは「リラックスタイム」と聞けば、ただちに「OK」と反応するでしょう。頭脳が何か言えば、身体の細胞は従います。すべては心が造り上げているからです。私たちは自分自身のマスターなので、否定的なことを肯定的なことに変えることができるのです。ですから、連絡係とうまくいかないとか、その他の理由でグループメディテーションに行くことについて頭脳にストレスを感じさせるべきではありません。


                 真のマスター


  マスターは12月25日の夜、オゥラックの修行仲間と会った後、中国の修行仲間が来ることを許可しました。そして、この貴重なリトリートの間、世俗の欲望を満たそうとしたり、家族の問題など自分たちを取り巻く物事を解決しようとするかわりに、神だけに集中すベきであるということを思い出させました。そしてマスターは、今後は心から誠実に神を思う人々だけがリトリートに参加することができると述べました。また、マスターは単に良い人になりたいわけではなく、それよりずっと大切なことは、真のマスターになるべきだということ、そして自分の義務は神の真実を私たちに伝授することであって、単なる善人がするようなこと、つまり人を喜ばせたり楽しませたりすることではないと言いました。

  そして、どうやって自然に愛を示すかを、最近クリスマスの時期に家具店で起こった出来事を通して話しました。そして最後に、人々を助け、幸せをもたらす時、私たちの幸せは二重になります。一つは人々の助けになったという喜び、もう一つは助けられたという喜びです、と述べて話を終えました。


            愛は智慧を兼ね備えるべきである


  12月26日、マスターは欧米とその他の国々からの仲間たちに会うことを許可しました。マスターはまず、今回の厳格さについてみなに謝り、それは神がマスターに、ただの良い人ではなく、良いマスターになるよう指示したのだと再度述べました。それからマスターは、霊性修行の上で開悟を追い求めることの大切さと、リトリートの際は家族やその他のことではなく、神のことだけを考える重要性を強調し続けました。自身の髪の色やスタイルを、神の意志に沿っていることを例にして、神に仕えるためにすべてを二の次にするよう強く述べました。そして、「神の啓示を聞けば、生活は単純になる」という言葉で締めくくりました。

  次にマスターは、智慧のない愛は災いであるということを、マスターの鳥たちのために鳥小屋を建てたある長住者たちを例にして話しました。鳥小屋を建てる際、彼らはマスターの指示通りに西側だけに窓をつけるかわりに、北と南の壁に取り付けたのです。そのため鳥たちは、西から吹いてくる温かい風を受けるのではなく、北側の窓から反対側に吹き抜ける冷たい風にさらされることになってしまいました。また、過って使用された接着剤から出る有毒ガスや壁など、たくさんのちょっとした手違いのために、マスターの鳥たちは問題が解決されるまで新居に移ることができず、窮屈な住居で過ごさなければなりませんでした。この出来事を引用しながら、私たちの行動が愛と同じく智慧によって導かれるよう、あらゆる代償を払って100%の悟りのために努力しなければならないと述べました。


             神の愛は、永遠に心に刻まれる


  リトリート最終日、仲間たちは朝8時から午後2時までの最後の長いメディテーションをしていました。終了時間の30分前、マスターは私たちにさよならを言うために、そして私たちをこの上なく愛しているということを伝えるためにやって来てくれました。その時マスターは、私たちに会いに来るために神に背かなければならず、後で神にその償いをするつもりだと述べました。

  また、リトリートの間に進歩するためには、仕事も家族も置き去りにして、額に「死」という文字を描き、世俗のことをすべて捨て去るべきであると述べ、また、この期間は神を最優先にすることを決意しなければならないと述べました。そして、私たちにこの物質世界のはかない本質を思い出させ、地球上の配偶者はいつでも離れて行くが、天国の配偶者(神)は、永遠に私たちと共にいるのだから、リトリートの期間中は神を第一にすることによって、内なる神に敬意を払うべきだと述べました。

  マスターの言葉に、すべての人が深く感動しました。そしてマスターは涙を流して、私たちのことをとても愛している、私たちの成長を助けるためだけに厳しくしなければならなかった、それ以外の何ものでもないと言いました。この感動的な瞬間、神の愛のパワーに、誰もが涙を流しました。

  リトリートの最後に、より一層、ただ神だけに集中するようマスターが促した、その報酬(結果)は、参加した仲間たちの輝く顔にはっきりと表れていました。最後の数分間、マスターは私たちの奮闘を知っていて、私たちに問題があるから非難しているのではなく、ただ、みなを深く愛しているからであると述べました。マスターの細心な心遣いを通して、多くの人が神や修行に専念することに再び目覚めました。新年を迎えるに当たり、私たちにとって何と素晴らしい祝福であったことでしょう!


特別報道

ロサンゼルス音楽週間と、ロサンゼルス市による

スプリームマスター チンハイ表彰


アメリカ・ロサンゼルス・エンターテイメントチーム(英語)


  1998年に行われたチャリティーコンサート「音楽を通して、平和な一つの世界を」において、音楽界や芸術界で重んじられている多くの専門家が、スプリームマスター チンハイの詩歌の才能を大変高く評価しました。その夜参加した歌手たちは、プロの音楽家協会に所属する65人のオーケストラによる伴奏の下で歌いました。このオーケストラは定期的に映画音楽を演奏しているほか、年に一度のアカデミー賞授賞式の演奏も担当しています。

  2002年、スプリームマスター チンハイは、ロサンゼルス第九回音楽週間およびロサンゼルス市政府から、優秀芸術家として表彰されることになりました。ロサンゼルスの音楽文化に貢献する芸術家たちを称えようと、また、子供たちにより音楽に親しんでもらえるよう、この十年間、ロサンゼルス音楽週間は多数の優秀な芸術家を表彰してきました。今年の音楽週間は12月8日から15日にわたり、記者会見、表彰昼食会、市議会の日、そして子供の日といった内容のイベントが行われました。音楽週間の創設者兼執行委員長であるマギー・エヴァンスさんは国際的に有名な歌手で、人生を子供の援助のために捧げ、ロサンゼルスとアメリカの音楽界に多大なる貢献をしていることで、人々に認められています。


  2002年12月12日、16人の受賞者を表彰する昼食会は、優雅なウィルシャイア・グランド・ホテルの「ロサンゼルス・ホール」で行われました。スプリームマスター チンハイは多忙のためこの会に参加できず、代理を派遣しました。式典で、音楽週間総裁のヴィッキー・エヴァンスさんは、まず、ロサンゼルス市長ジェームス・ハーン氏直筆の表彰状をスプリームマスター チンハイに贈り、ロサンゼルス音楽週間からも水晶をあしらった盾が授与されました。ロサンゼルスの18チャンネルで放送しているKSCI TVは、このイベントに対し大変積極的な報道をしました。また、毎年音楽週間には、アメリカ郵政局でも必ず音楽記念切手を発行しており、今年の受賞者は、郵政局が製作した枠付きの拡大された切手と、音楽週間のために特に用意された全受賞者の名前が記載された記念シールが贈られました。式典の後、エヴァンスさんはすぐにビデオ「愛の道を行く」を放映しました。ゲストたちはみな熱心に観賞し、会場全体が静まり返りました。スクリーン上に、マスターが講義している姿、人道的な活動を称える世界各国の政府および団体の様子、そして天国からのインスピレーションによりマスターが創作した芸術品などが映された時、ゲストたちはマスターの慈悲と無限の愛に酔い、会場内の至る所でマスターの存在と愛が感じられました。


  翌日の市議会の日、第2区の民選市議会議員であるウェンディ・グリューエルさんが式典で誇らしげにマスターに賞を贈ると同時に、マスターが著名な慈善家、芸術家、そして霊性の師であり、過去10年余りにわたって、疲れを知らずに世界各地を回り、自らの芸術作品で得た収益によって人々を助けてきたことを全議員に紹介し、熱烈な拍手の中、マスターの代理がこの栄誉を受けました。授賞式の模様は、ロサンゼルス35チャンネルのテレビで生放送されたため、ロサンゼルス全域で視聴することができました。また、市政府のホームページでも全容が見られます。さらに、ロサンゼルス市によるマスターの表彰などの貴重な記録は、次世代にも閲覧できるよう内容はすべて保存されています。


  12月14日、子供の日の祝典は由緒あるワーナー・グランドシアターで行われました。毎年行われるこの式典は、ロサンゼルス地区にある15校の中・高校の生徒に対し、その音楽の才能を表彰し、また音楽教育のレベルアップを図ろうと設けられたイベントです。マスターは常に子供たちの特別な要求に関心を持ち、また、年少者のための芸術教育も奨励しています。この日、マスターの愛が再び「音楽を通して、平和な一つの世界を」の本を通じて100名の生徒に贈られました。こうして、未来を担う子供たちにとって、この日はスプリームマスター チンハイを知る機会を得るという特別な日となったのです。マスターの愛はきっと彼らを明るい道へと導いてくれることでしょう。


             ロサンゼルス音楽週間の創設者
           マギー・エヴァンスさんへのインタビュー



  マギー・エヴァンスさんは著名な歌手であると同時に、ロサンゼルス音楽週間の創設者兼執行委員長でもあります。このイベントでスプリームマスター チンハイの芸術面における業績を表彰した後、マギー・エヴァンスさんはスプリームマスター チンハイ インターナショナル アソシエーション(以下SMCH I. A.とする)のインタビューに応じ、マスターの愛がどのようにして彼女を感動させ、その人生に影響を与えたのかを語ってくれました。

(以下の対談では、SMCH I. A.会員のキャサリン・ハドソンを、マギー・エヴァンスさんをと省略)

K:こんにちは。私たちは今、ロサンゼルス音楽週間の創設者であるマギー・エヴァンスさんとご一緒しています。マギーさん、ようこそ!
M:ありがとうございます。

K:どのようにしてスプリームマスター チンハイを知るようになったのですか?

M:「音楽家協会」を通じて知りました。彼らはきっと、これまでの彼女の業績によって知るようになったのだと思います。彼らは、マスターの「愛の海」という略歴ビデオを私に送ってくれました。マスターは、どんな名誉も求めない人だと思いました。ですから私は大勢のスタッフと会った時に、子供たちはマスターのことを全く知らないので、ビデオ「愛の道を行く」を見せるべきだと彼らに話しました。今日私は、会場にいるみなさんの反応を見ました。あの会場には社会に貢献している方がたくさんいらっしゃいましたが、あのビデオを通して、マスターがいかに謙虚な姿勢で奉仕しているのかを見て、きっと勉強になったと思います。また、同時に私の論点を証明してくれました。それは、スプリームマスター チンハイに出会えるのは、偶然ではないということです。彼女は、奉仕することは、より恵まれているのだということを私たちに聞いてほしくて、また、そのことを忘れている私たちを手助けしようとしているのです。そしてビデオが流れていた時は、平和と喜びが会場に満ちていました。「誰も本当はそんなことを気にしない」と思う人もたくさんいらしたでしょう。まるで私がすべての答えを知っているかのように、私を引っ張り出そうとする人もいました。私はすべての答えを持っているわけではありませんが、それを全部知っている人は知っています。スプリームマスター チンハイはここで表彰されると同時に、私の人生に訪れて希望を与えてくれました。これまで多くの場合、私は人にお金を恵む気になれませんでした。というのは、相手が全く感謝しないからです。それまで落ち込んでいた私は、このビデオを見て助けられた気がしました。マスターの言葉は私に希望を与えてくれました。本当のことを言うと、私は家で落胆していたのです。すると思いがけずマスターが現れ、そらから私はビデオを見て恵みを与えられた気がしました。私がお話ししていることはすべて真実です。ですから、神のパワーが働いた時は、神こそが最も偉大なディレクターなのだと思います。

K:はい、確かにそうですね。

M:神が音楽週間を演出しているのです。マギーではなくて。

K:スプリームマスター チンハイの音楽について感じられたことを、少しお話し頂けますか?

M:私は彼女の音楽を聴いたことがありますが、とても安らぎを感じます。最初は、音楽家協会から送られた詩を読んでいました。そしてCDを頂いた時、私は寝室に持ち込みました。寝る前に、いつも脳をポジティブな状態にしたかったのです。スプリームマスター チンハイに、私のすべてを心から分かち合いたいと思いました。アフリカ出身のアメリカ籍女性として、私を光に導いてくれた彼女を派遣した神に感謝すると共に、私は自分を憐れむことなく自立ができ、自分の持つあらゆる手段を用いて自分自身を向上させられました。また、彼女の音楽、彼女の本「音楽を通して、平和な一つの世界を」もまた、私を向上させる手助けをしてくれました。聖書に使徒パウロのこんな言葉があります。「どんな状況にあろうと、私は満足することを覚えました。貧しき時も富める時も」マスターは音楽を通じて、愛で私を助けてくれたのです。「スプリームマスター チンハイ、あなたが存在していることに感謝します。多くの人々のために世界中を奔走し、知らない人であっても大勢の人があなたに感動させられます。いつか私もあなたのメッセージ通りになれればと願っています」直接には彼女に会えないかもしれませんが、私には彼女の魂が感じられます。だからこそ、私は彼女の働きを肯定するのです。「スプリームマスター チンハイ、ありがとうございます。あなたの愛に感謝し、平和に感謝し、あなたに感謝します」

紙面に限りがあるため上記リポートは要約されています。詳しくは衛星放送Sun TVの番組、「芸術と霊性」第19集の録画でお楽しみ下さい。

http://www.godsdirectcontact.org.tw/ch/hichannel/index.htm
  (英語+中国語字幕)



マスターが話す物語

なぜ仏菩薩は衆生を済度できないのか


スプリームマスター チンハイ フォルモサ・西湖 1991.8.5-7(中国語)


                一円の供養


  とてもケチな人がおりました。これまで何の修行もしたことがありません。布施をしたことがないので、僧侶が自分の所に托鉢に来ることを最も恐れていました。彼の妻はとても道心があり、念仏や修行を好みましたが、彼は嫌いでした。ある日、彼の母親が亡くなり、妻が言いました。「これから二人で巡礼の旅に出て、ガンジスの河辺で儀式をし、仏菩薩に加護を求めるべきです。そうすればおかあさんは超生できます」。夫は言いました。「そうだね。でも、そんなに遠くへ行くとたくさんお金がかかるから、近い所に行こう」。

  彼らは巡礼の途中、ある寺院に行くことにしました。しかし、もし行った時に僧侶がいると、一般の風習では僧侶に供養しなければならないので、それを嫌がって僧侶がみな眠ってしまうのを待ってから行きました。彼らが寺院に着いた時は人影もなく、ただいくつかの仏像と観音菩薩像があるだけでした。

  観音菩薩は男のケチな性分を知って、僧侶に化けてそこに座りました。男は仏を拝み終えると、突然そこに僧侶がいるのに気が付いてびっくりしました。観音菩薩の化身であるその僧侶は彼に言いました。「あなたはここに、線香をあげ、仏を拝みに来たのですから、非常に大きな功徳があります。私があなたに代わっていくつか超生の儀式をしましょうか?」「いえ、いえ、結構です! 自分でしますから」と男は言いました。僧侶は、「構いません。私はあなたに代わってできますし、すぐに私にお金を供養する必要はありません。後でも構いません。けれども先にいくら供養するかを私に言ってください」と言いました。普通は、信者が寺院へ来て線香をあげ、仏を拝むとみな供養をします。その寺院の慣例も同じでした。

  男は心の中で、「構わないだろう。先に同意しておいて後で逃げてしまえば、坊さんが俺を捕まえることなどできないに決まっている」と思いました。それで、「いいですよ。あなたに一円供養します」と言いました。「ええ、一円でもいいですよ。ただあなたにその気持ちがあればいいのです」と僧侶は言いました。そこで僧侶は彼に代わってたくさん経をあげました。超生の儀式をすべて終えると、男は妻に言いました。「儀式はすべて終わった。お参りもしたし、仏も拝んだ。坊さんも俺たちを手伝って経をあげてくれたことだし、明日帰ることにしよう」

  彼らが帰宅した数日後、例の僧侶が突然家にやって来ました。妻は中に入って夫に言いました。「お寺のお坊さんが外に来ています。あなたがあの時一円を供養すると返事したから、お坊さんが請求しに来ましたよ」。夫は恐れて言いました。「ああ、坊さんに一円をやってしまいたくないよ。俺がとても重い病気だから今は会えないと言って帰ってもらってくれ」。妻はもちろん夫のケチな性分を知っているので、仕方なく出て行き、僧侶に言いました。「すみません。夫は重い病気でお会いできません。どうかお引き取りください」

  僧侶は、「病気ですか。それではなおさら私は本分を尽くさなければなりません。(笑い)お連れ合いが早く回復するように、彼に代わって念仏を唱えましょう」と言いました。それで、妻はまた中に入って夫に報告しました。夫は、「ああ! だめだ、だめだ。じゃあ、俺はすでに往生した(笑い)と言って、帰ってもらってくれ」と言いました。

  妻は仕方なく、またしぶしぶ出て行き、僧侶に言いました。「すみません! 夫はたった今、往生しましたので、やはりどうぞお帰りください」。この僧侶はとても仕事熱心できびきびしていたので、帰らないばかりか、さらにこう言いました。「それならば、なおさら中に入ってお連れ合いの冥福を祈って経を唱えなければなりません」

  今や夫はすでに「死んで」しまったわけですから、もう話すことはできません。(笑い) 妻は僧侶を中へ通し、経をあげて念仏を唱えてもらうしかなく、たくさんの葬儀の儀式を行いました。そして、彼を棺の中へ入れて火葬場へ運んで行きました。まさに棺が火の中に入れられようとした時、当然、彼はあわてて飛び出して来て、「わあああ! やめてくれ! 火葬しないでくれ! 俺はまだ生きているんだ!」と言いました。

  その時、僧侶は元の姿を現して観音菩薩になり、そこに立っていました。観音菩薩は男に言いました。「私はあなたがあんなにも苦労して、誠心誠意巡礼するのを見てとても嬉しく思いました。今、あなたは一つだけ願い事をすることができます。私がそれをかなえてあげましょう」。男はひざまずき、泣き出しました。みなさんは彼が何を願ったかわかりますか。彼は「観音菩薩様、どうか私を許して下さい。あの一円の供養を免じて下さるようお願いいたします!」と言ったのです。(笑い) すると、観音菩薩は頭を横に振って行ってしまいました。衆生とはこんなありさまですから、たとえ仏菩薩が降りて来ても役に立たないのです。


                木像を拝む修行者



   ある人が一人のマスターに従って修行していました。とても苦労して修行していました。彼のマスターは彼に一体の地蔵王菩薩像を与え、また往生の呪文を教えました。それから彼に、毎日地蔵王菩薩像に向かって何千回も拝み、何万回も往生の呪文を唱えるように要求し、その様に修行すれば必ず結果が得られると言いました。

  その人は言われたとおりに辛い修行をしました。しかし、修行して一年経っても、まだ何の役にも立たず、何の感応もありませんでした。そこで、彼はマスターのところへ行って言いました。「マスター、お願いです! どうか私に別の呪文を教え、別の、さらにパワーのある、もっと慈深い菩薩を与えて下さい。地蔵王菩薩はいりません。私は一年拝み、呪文も喉がかれてしまうまで唱えましたが、それでも何も加護してくれず、何の感応も与えてくれませんでした。もう私は拝みたくありません。どうか私にもっとよい菩薩を与えて頂けませんか」マスターは言いました。「よろしい。では、あなたに阿弥陀仏の往生の呪文を教えますから、阿弥陀仏を拝めばよいでしょう。阿弥陀仏はとても慈悲心があり、大変大きな願を掛け、衆生と大変縁がありますから、阿弥陀仏を拝めば必ず結果が得られるでしょう」

  彼は自分のマスターの話を信じて小さな阿弥陀仏像を持ち帰り、往生の呪文を唱え始めました。彼は帰ってからずっと往生の呪文と阿弥陀仏の仏号を唱えました。とても心をこめて。しかし一年経ちましたが、やはり何の結果も得られません。そこで彼はまたマスターのところへ行って文句を言いました。「マスター、阿弥陀仏は効きません。なにも感応を与えてくれません。お願いです。どうかもう私をテストしないで下さい。どうか私に印心を与え、私にさらによい修行法を教えて下さい。さもなければ、こんな風では本当に修行を成就することができません!」

  彼のマスターは、この弟子が本当にとても誠意があって大変好ましいことがわかったので、微笑んで彼に言いました。彼は今回必ず悟りを開くことができるけれども、やはり自ら修行し、自ら悟りを開かなければならないと。また、続けてこう言いました。「今、あなたにこの観音菩薩像を与えます。帰ったら観音菩薩像を拝みなさい。非常に慈悲があり、みな観音菩薩像を拝むと大変効き目がありますから、あなたが拝んでも必ず感応があるでしょう」。弟子はマスターの言葉を信じ、その話を聞いて大喜びしました。そして、帰ったら心を込めて観音菩薩を拝んで、日夜観音菩薩の仏号を唱えようと決心しました。

  その日、彼は帰るとすぐに最高のすばらしい白檀の香を焚き、観音菩薩像の前にひれ伏して拝みました。元からある地蔵王菩薩像と阿弥陀仏像を本棚の上に置いて放りっぱなしにし、埃がいっぱいかかってもお構いなしでした。その二つは効き目がないと思ったので拝まないことにして、本棚の上に置いて「休憩」させ、観音菩薩像だけを拝みました。

  彼が拝むと、香の煙が阿弥陀仏像の鼻の所へ漂って行くのが見えました。彼は「これは駄目だ! 俺は観音菩薩だけを拝んでいるのだ。この仏は全く効かないのに、俺のお香を楽しむ資格がどこにあると言うのだ」(笑い)そこで阿弥陀仏像を棚から下ろして来て、テープでその鼻を塞いで香りを嗅がせないようにしようとしました。するとその時、阿弥陀仏の木像が突然消え、阿弥陀仏本尊が彼の目の前に現れました。弟子はびっくりしました。ひれ伏して、許しを請いました。阿弥陀仏は「私はあなたの道心と誠心誠意さに非常に満足しています。今あなたが要求するものは何でも、私が実現させてあげます」と言いました。その人は「あなたを見ることができただけで、もうとても嬉しいです。すぐには何をお願いすればよいのかわかりません。しかし、どうして私があなたの鼻を塞ごうとした時にやっと姿を現わされたのでしょうか。いったいどういう意味なのか、どうか私に教えて下さい」

  阿弥陀仏は言いました。「以前、あなたは私をただの仏像、木像としか思わず、拝みたい時だけ拝み、拝みたくない時には私を傍らに置きました。私を好きな時にだけ拝む。いやな時にはお香を焚かない。忙しい時には私を相手にしない。これは正しい概念ではありません。しかし、今あなたは考え方が変わり、私を本当のブッダだと思ったので、私の鼻を塞ごうとしたのです。私はあなたに鼻を塞がれるのが心配で、急いで姿を現したのです」(笑い)


           修行の概念は正しくなければならない


  私たちの修行が誠心誠意で、概念が正しければ、たとえ木像のブッダでさえも本当のブッダになります。私たちがもし修行をきちんとせず、概念が正しくなければ、たとえ生きているブッダでも木像と同じようになってしまいます。ですから、物の見方はとても重要で、もし私たちが仏菩薩に対して正しい概念を持たなければ、たとえ本当の仏菩薩が降りて来ても役に立たないのです。

  最初の物語では、主人公はすでに真のブッダが降りて来たと知っていました。しかし、彼は解脱、成仏、大智慧を得ることを祈り求めませんでした。ただブッダに許しを請い、一円を持って行かないようにと求めました。みなさんは想像できますか。仏菩薩が衆生を済度できないのはこういうわけなのです。衆生はみな大事を祈り求めず、世俗の習慣の中に埋没しています。毎日いつも世俗の習慣と概念に縛られています。ちょっと口を開けば俗事を話題にし、ちょっと思えば俗事を考え、要求することすべてもまた世俗の事です。ですから、仏菩薩は降りて来ても役に立たないのです。

  二つ目の物語では、この男性は木像に対して失礼ではあっても、彼の概念は正しいものでした。つまり彼の方が悟っているということです。彼は木像を単なる木だとは見なしませんでした。その時、彼は何を見てもすべてがブッダだったため、木のブッダを見ても本物のブッダになったのです。つまり、木像の背後にある概念こそが重要であり、私たちは本物のブッダを拝むことこそが重要なのであって、木像を拝むわけではないのです。私たちの概念が正確で、開悟している時、ブッダに対してどのようであっても、ブッダは気にかけません。私たちの概念が正確でなければ、たとえ本当のブッダが目の前に現れても役に立ちません。私たちの概念が正しい時は、木のブッダでさえも真のブッダになり、概念が正しくなければ、たとえ生きているブッダと一緒でも、まるで凡夫と一緒にいるのと同じなのです。

  昔、一つの話がありました。釈迦牟尼佛が在世の時、舎利仏が釈迦のかわりにとても大きな精舎を建設しました。その時、舎利仏は一本の木の下にとても大きなアリがいるのを見つけると、それを指しながら傍らの人に言いました。「このアリはすでにここで何世も過ごし、何人ものブッダの経の講義を聞きました。しかし、まだ開悟していません。なぜなら、このアリはずっとアリのレベルに沈んでいるからです」。

  仏菩薩はもちろん私たちを手助けして、凡夫のレベルを超えさせることができます。しかし、それは私たち自身も望んでこそできるのです。もし私たちが望まず、幼稚な程度に沈んでいるのを好むのであれば、仏菩薩も私たちに強制することはできません。医者が人の病気を診療するのと同じです。私たちに薬は与えられても、もし私たち自身が薬を飲みたがらず、自分の病気を抱えていたいのなら、医者も無理強いはできないのです。




マスターの講義

聖者病を治す


スプリームマスター チンハイ アメリカ・カリフォルニア(英語) 1994.3.9 ビデオテープ№409

  みなさんは成熟していて、とても聡明です。IQもとても高いです。(笑い) それに、みなさんは私の知らないことをたくさん知っています。それなのに、どうして私はみなさんに何でも話さなければならないのでしょう。一つだけは話せます。みなさんはもっと活発にならなければならないということです。そして、何であれ、みなさんがやりたいことをしてください。他人を傷つけない限り、みなさんが楽しいと思うことをしてください。ですから、みなさんが映画スターと知り合いになりたいなら、スターを追いかけ、大統領に会いたければ、大統領に手紙を書くことです。

  みなさんの望むことが世界の政治や社会変革にかかわるような事なら、多少難しいでしょうが、自分自身の志や楽しみに関することなら、それほど難しくはありません。本当です。みなさんの誠心誠意すべてと、成功を納めたいという望みすべてをかけて、それにあたってください。そうすればうまくいくでしょう。ほとんどの場合、私たちは自分がしたいと思うことで成功できないし、それに、恐れもあるためにみじめなのです。みなさんは人を愛することがありますが、こう言うのです。「ああ、彼は私にはあまりにもハンサムすぎるわ」。誰にわかるでしょうか。もしかしたら、あなたのほうが彼にとってあまりにも美しすぎるのかもしれません。決してわからないのです。

  私はみなさんが男性を追い掛け回すことを奨励しているのではありません。けれどもおわかりのように、そういうことが私たちの生活を惨めにしている原因なのです。私たちは自分自身を信じていないので、試してみようともしないのです。

  とても簡単です。例えば、私は小さい頃、テレビ関係の仕事をしている人や、テレビ局やラジオ局を経営している人を、まるで神か、神に次ぐ者のように尊敬していましたが、今では、私はそれが大したことではないのだということがわかりました。私はそれを手に入れることができたからです。私は局を一つ開くことができました。一つ買うことさえできたのです。とても簡単で、大した事ではありません。どのように人々が局を運営し、操作しているか知らなければ、みなさんには彼らが神のように思えるでしょうが、大したことではないのです。

  私は高校生の頃、サイゴンラジオ局の隣に住んでいました。それはとても大きい建物でした。私は毎日その隣にいたのです。そして、私はラジオ局について何一つ知らなかったので、行ったり来たり、出たり入ったりするすべての歌手や、私の家の回りや隣を行き来し、神殿のように大規模な局の中に入っていくアナウンサーたちすべてを崇めていたのです。そして、私はその回りに座っては、いつの日かその中で歌を歌ったり、詩を朗読したりする自分を夢みていたのです。ただ夢みていただけで、まさかそれが実現するなどと思いもよりませんでした。

  ところが、ラジオ局の人は時々いろいろな募集をします。詩を書いたり、クイズに答えたりして、それで賞がもらえるというようなものです。そこで、私は挑戦してみました。すると優勝したのです。たった一回ですが、私は決して優勝するなどとは思いませんでした。あまりにも、ありえないことに思えたのですが、実はたった一回挑戦しただけで優勝したのです。

  後になって、私は別の区域に移ってしまったので、そのラジオ局とはもう何の縁もなくなってしまいました。そこにはたぶん一年か二年居ただけですが、十分な期間でした。私は中に入り、そこで働く人々と話し、自分が歌を歌い、詩を朗読してみたいと思っていることを伝えられたのです。私はとても上手に詩を朗読することができました。それでは、どうしてそのようにしないでいたのでしょう。それは、誰一人として今、私がみなさんに奨励しているように、励ましてくれる人がいなかったからです。(拍手) もちろん、私が歌手にならなかったことなど、大したことではありません。いずれにしても、結果的に私は歌ったのですから。けれども、私はその年月そこに暮らしていて、そうしたいと思いながら何もせずに局の前に立っていただけでした。私にはできたのです。そして、しばらくの間楽しむことができました。けれども、神は私がそうすることを望まなかったのでしょう。それならば、それでも構いません。

  私が言いたいことは、みなさんもそうすべきだということです。いずれにせよ、私はみなさん全員がマスターになるなどとは思っていません。だったら、楽しんでみてはどうですか。(聴衆笑う) たぶん、神は私にマスターになることを望んだのです。それで神は「阻止した」のです。当時の世界で最も才能のある歌手であり、芸術家を阻止したのです。(拍手) けれども、みなさんが望んでいることや、夢をかなえることを阻むものは何もありません。「最後の時」なのですから楽しんでください。実際私も、楽しむように頑張ってみなければなりませんね。私は自分をここにとどめておくために、何でもやってみるのです。そうでないと、私をここに止めておくものは何一つないのですから。そうしたら、私に何ができるというのでしょう。

  過去から現在に至るまで、「どうして、あなたはお化粧をするのですか」「どうして、あなたはきれいな洋服を着るのですか」と、そういう類の質問を人々はずっと私に尋ねています。私がスプリームマスターになる前、マスター チンハイになる前、私はちょうどこんな感じでした。(マスターは自分の「普通の」洋服を指さす) それに長い間こうではありませんでした。そして今、私はまたこのように戻ったのです。それは、私にとっても一種不思議なことなのですが、何一つ不思議でもありません。ちょうど老人が年をとると、再び子供のようになるのと同じです。ですから、そういうことが私にも起こっているのかもしれません。

  とても簡単なことです。私が前に話した王様の話と同じです。彼は出掛けて行き、泥の中や、普通の人の中や、時には汚いレストランや、汚い通りに出て行っては、ばか騒ぎをしました。彼はほんの二、三人のお供を連れただけで歩いたのです。自由になりたいと思ったからです。栄光や護衛、王として通りを歩く恐怖などから自由になりたかったのです。みなさんは私の言っていることがわかりますね。ただ自由になるためです。それで、私も聖者の地位から自由になりたかったのです。そして、今私は解放されたのです。(拍手) 私は禅病でした。メディテーション病、あるいは、マスター病にかかっていたのです。それは、私がマスターであると人々に知らしめるものでしたが、今私は自由です。その病気はおそらく消えてしまったのでしょう。

  ですから、私たちがある期間修行すると、時には禅病になることもあるのです。それは「聖者病」と呼ぶもので、自分で治さなければなりません。みなさんが顔や鼻や足首のまわりに身につけているものや、心の中に隠している聖者くささを探し出し、治さなければならないのです。一つひとつ、ゆっくり、あるいは素早く治します。それはみなさん次第です。ちょうど今、私はある話を思い出しました。これを最後に、きちんとみなさんに説明しましょう。みなさんは私がどのように開悟したマスターになったかと聞くより、どうしてこのような洋服を着るのか知りたがっているからです。人々は私にたくさんの質問をし続けます。そして、最後に必ず次のように言うのです。「わあ、一つだけ質問があるのですが、でも、お尋ねしにくいのですが、よろしいですか」。そして、最後に袋からネコがとびだすのです。「どうして、あなたはこういう服を着るのですか」。そうです。そういう質問です。

  チベットでは、たくさんの人々が飛行の修行をしています。どうやって修行をするのでしょうか。それは、ちょうど中国の軽功(一種の中国武術で、体重を非常に軽くする訓練を修行者に課すもの)の修行と同じようなもので、飛ぶことができるものです。屋根の上に飛び乗ることができ、非常に高く、非常に遠くまで飛ぶことができます。中国ではいまだにこういう形態の修行をしている人がいるのです。時々、みなさんは本物ではないカンフー功夫を見るでしょうが、それは、それでも人々が飛べた古き時代の、本当の姿のなごりです。

  現在でも、チベットでは今なお飛べる人々がいるのです。チベットの困難な状況下では、彼らには車がないので、万年雪で凍てついた山々を歩かなければならない場合もあります。それで、彼らはそれほど多くの食物も持たず、途中にレストランなど何もないような所を、とても長い道程を行かなければならないのです。非常に小さな包みだけしか持って行くことはできません。時には馬さえもいなくて、ヤク(大きくて長い毛をした焦茶色のヒマラヤ牛)しかいないこともあります。そして、彼らはそこにあるものを使って行かなければなりません。そこにはそう長くいられないのです。時には、緊急事態のために急いで行かなければならないこともあります。それで、彼らはこの種の飛行術を修行しなければならないのです。そして、本当に一生懸命修行したために、二度と地面に降りることができなくなってしまう人もいるのです。ずっと空中を飛行したままになってしまいます。アレキサンドラ・デービット・ニール女史の本を読めばこのことがわかります。これはすべて事実ですが、私は彼女の本を参考にすべきでしょう。そうすれば、みなさんは私がでたらめを話しているのではないことがわかるからです。人がそういうことを書いているとわかり、証明を得られるのです。

  それで、ずっと空中を飛行したままのこういう人々にどんなことが起こるかというと、時々は降りてこなければならないということです。少なくともトイレや、お風呂に入るために降りて来なければならないという意味です。(笑い) あまり長く飛んでいると、におうようにもなります。それで、彼らは時々降りて来なければならないのです。彼らは体の回りにたくさんの重い鉄の鎖を巻きつけなければなりません。そうすることで、重さのバランスをとり、離陸と着地をコントロールできるのです。本当にそのようにしているのです。

  ですから、ある時、みなさんがチベットに行って空を見上げたら、何かそういうようなものを見るでしょう。すると、みなさんは彼らが体に巻き付けた鎖などで、体を痛めつけていると思うでしょうが、実際はそれこそ彼らがしなければならないことなのです。彼らがあまりにも軽くなってしまい、あまりにも高く飛ぶと、彼らは自分の体をもっと重くしなければなりません。そうすることで、地面に着地でき、そして望むだけ長く地上にいられるからです。そうでないと、彼らはずっと空中を飛行したままになってしまうのです。

  同様に、私たちが初めて修行をしてしばらくすると、私たちは聖者や仏陀になり、そしてこう思うのです。「ああ、私はそういう振る舞いはしない。そういうものは見ない。そんな人とは話をしない。そういう種類の服は着ない」と。その時こそ、みなさんの病気が最も深刻な時なのです。(笑い) それからしばらくして、あまりにも神聖になってしまうと、みなさんは自分自身を治療しなければならなくなります。自分自身を再び地上に引っ張り下ろさなければなりません。社会に溶け込み、自分の知識をコントロールし、修行の成果や智慧を運用させるためです。多くの人々がみなさんを必要としているからです。みなさんはただずっと涅槃にい続けるわけにはいかないのです。ここにいることも、みなさんにとって良いことではないのです。常に涅槃にいたなら、私はどんなことにも関心がなくなってしまうでしょう。ただずっと涅槃にいることでしょう。私が言っているのは、そういう存在レベルのことであって、空を飛ばなければならないということではありません。けれどもそうしたなら、私には何一つみなさんと関わることがありません。そして、みなさんがどれほど苦しんでいるか決して理解できないでしょう。みなさんの心も何もわからないでしょう。何もわかりません。みなさんの苦しみ、愛、憎しみ、失敗や徳など理解しないでしょう。何も理解しないでしょう。私はあまりにも聖者すぎるからです。あまりにも純粋、じゅ・ん・す・いだからです。(笑いと拍手)

  ですから、こういった服は鎖なのです。何色であろうが関係ありません。それらは単に塵でしかないのです。黄色い塵、青い塵、白い塵。ですから、どうして煩うのでしょう。私を批判するそういう人々というのは聖者なのです。それが理由です。彼らは聖者の病院に入っているのです。退院すれば、彼らはすぐに気が付くでしょう。また元通りになり、私たちは彼らと話せます。ですから心配しないでください。あまりにも聖者のようになりすぎるのも、やはり良くないのです。私たちは現実との接触を失っているのです。そうして、バランスが取れないのです。まるで、チベットで常に空を飛び、トイレのためにさえ決して降りてくることができなくなってしまった人のようです。彼らが鎖をつけていないかどうかちゃんと注意して、下を通らないようにしてください。(笑い) そうでないと困ったことになるかもしれませんね。そういう寒い気候や、高地で服を着替えることは、必ずしも便利なことではありませんから。私がみなさんに警告をしなかったとは言わせませんよ。





リトルメッセージ

マスターからの忠告


  マスターからの愛情のこもった忠告です。携帯電話を使う時はイヤホンを使いましょう。固定電話を使う場合は、本体と受話器がコードでつながっているタイプのものを使いましょう。そして家庭用のコードレス電話や持ち運ぶタイプの電話を使う場合はイヤホンを使いましょう。



笑い話


この父にして、この子あり

スプリームマスター チンハイアメリカ・フロリダ 1999.2.14 (英語)ビデオテープNo.634

   ある少年が、クラスで最低の成績と最悪の成績表を持って家に帰ってきました。父親はそれを見てとても激しく怒り始めました。「おまえはいつも落第しているじゃないか! 隣の子を見てみろ。あそこの息子はいつも1番だぞ。それにひきかえ、おまえはいつもビリじゃないか。いったい何が悪いのか、言ってみなさい。おまえの先生は、おまえに何ひとつ教えてくれないのか?」すると息子が言いました。「そんなことないよ。ちゃんと教えてくれるよ。今朝なんか、先生は僕にこう教えてくれたんだ。“この父にして、この子あり”って」


 

なんてよい子でしょう!

スプリームマスター チンハイ アメリカ・フロリダ 1999.2.14 (英語)ビデオテープNo.634

  二人の女性が、汽車に乗り合わせ、長い旅だったので、自分たちの家業のことや、家族のことを話し始めました。年上の女性が言いました。「まったく、なんてことでしょう。子供を育てるっていうのは本当に大変! 悩みはつきないし、いつも問題を起こしてくれるし。私の息子はまだほんの20歳なのに、もう煙草を吸って、お酒を飲んでいるのよ。(アメリカで飲酒が法的に許可されるのは、一般に21歳から) その上、しょっちゅうガールフレンドを変えるの。とんでもないことだわ。もっとまともになってほしいけど、きっと無理でしょうね。毎日ずっと祈り続けるばかりだわ」そして彼女は尋ねました。「で、あなたはどうなの? お子さんはいらっしゃるの? 息子さんはどんな風?」若い女性が答えました。「そうね、私の息子は問題なしよ! 煙草なんて絶対吸わないし、お酒も全く飲まないの。ガールフレンドもいないわ。悪い言葉だって口にしたことすらないし」

  それを聞いて年上の女性は言いました。「まあ、すばらしいわ! あなたは恵まれているのねえ。ところで息子さんはおいくつ?」若い女性が答えました。「5ヵ月よ」


 

救急処置室でびっくり

スプリームマスター チンハイ アメリカ・フロリダ 1999.2.14 (英語)ビデオテープNo.634

   ある男性が釘や瓦礫だらけの危険な場所に入って行き、そこで靴を脱いで、両手にぶら下げてそこら中を歩きました。当然彼の足やくるぶしは傷つき、出血し始めました。男性は手当てを受けに病院へ行き、医師は彼に言いました。「なんてことだ! あなたは靴を履いてなかったんですか?」 すると彼は答えました。「靴を持ってはいましたが、脱いでいたんです」。医師はさらに、「気でも狂ったんですか? どうして靴を履かなかったんですか?」男性は答えました。「あなたこそ気が狂っているのですか? 私の足をごらんなさい! もし靴を履いていたら、私の靴はいったいどうなったと思いますか?」




問答精選

たくさんの天使たち-守護神と守護女神

スプリームマスター チンハイ アメリカ・カリフォルニア 1994.3.9 (英語) ビデオテープNo.409


Q: マスター、私には天使に関する質問があります。現在、天使に関するたくさんの本が出版されています。守護天使とか霊界の特別な衆生で、私たちのためだけにここに存在すると思われていて、私たちは困難や問題にぶつかった時に自分たちを助けてくれる守護天使を探すことができるというものです。マスター、あなたは守護天使がこういう目的で存在することを信じますか。そして、どうしたら私たちのための守護天使がいるかどうか知ることができるのでしょうか。

M
: あなたは通信販売で一つ注文できます。気に入らなかったら全額返金するという保障付きです。(笑い) ええ、私は天使がいることを信じます。それは守護神と呼ばれるものです。ちょっとレベルの低い神や女神で、二つのタイプがあります。一つ目のタイプは、天の神から派遣されるものです。正直で弱く、マスターがいてもいなくても神に対して信仰心があり、そういう人たちを助けるためのものです。ですから、正直で非常に徳のある人たちには、彼らを助ける天使がいるのです。天使はさまざまな状況で、可能な限り助けてくれます。

  けれども、マスターパワーを持っている天使こそが、最も力強く、最も早く、そして常によりパワフルで、どんな状況であっても助けることができるのです。他の天使たちのパワーは限定されています。彼らは個人のカルマや、その人が助けるに値するかしないかということを考慮しなければならないからです。マスターパワーはそういうことを何も考えずに動きます。その人が弟子であり、誠心誠意自分の生活を変えたいと願った瞬間に、どんな状況であれマスターは助けるのです。それで時々、マスターは人々を助けるために、いわゆる天使を特別に派遣します。弟子に対しても同様です。そして、マスターは自分自身でも化身を使って弟子を個人的に助けたりします。それこそが最も力強いのです。マスターがそこに存在する時、すべてのものが道をゆずらなければなりません。(拍手)

  さて、第二の守護天使のタイプですが、それは死んだ霊です。この世界からすでに去ってしまってはいるものの、いまだに訓練を受けているとか、まだ生きている人たちを助けたいという望みがあるタイプです。彼らと関係があったり、たぶん親戚だったり、友人だったり、生徒だったり、同じ分野の仕事をしている人だったりすると、「舞台裏」から彼らの才能や学識をさらに発展させるように助けるのです。それで、私たちを助ける衆生には二つのタイプがあるのです。天国からやって来る天使と、亡くなった人たちです。天使にはある程度の階級がありますが、天使になったことのある人間が、神から比較的多くの利益を得るのです。

  天使も本質を備えて創造されてはいますが、それは人間の本質とは異なったものです。天使は何の問題もなく、全宇宙に何ら影響を与えることなく消滅させることが可能です。天使というのは人間のように永遠の本質を備えていないからです。ですから、天使のランクは人間よりも高くはなく、人間は天使の上にランク付けられます。天使は作られることも、(マスターは指をパチンと鳴らして「一瞬に」という表現をする)消滅させることも可能です。注文で作られることも、数を増やすことも、減らすことも可能です。けれども、人間は決してそのようにされることはありません。私たちは永遠の衆生だからです。
(拍手)

 

否定的なパワーの本質

スプリームマスター チンハイ アメリカ・カリフォルニア 1994.3.9(英語)ビデオテープ №.409

Q: 「私が死んで体験したこと」という新しい本が出版されました。それは、作者の女性が数年前に体験した臨死体験についての本です。彼女が書いた出来事の一つに、臨死体験後のことがあります。彼女は悪魔か、魔王のような姿をしたものに追いかけられました。それで、私は魔王が実際に存在しているものなのか、それとも、それは私たち一人ひとりの中に宿っているかもしれない、悪の象徴のようなものなのかお伺いしたいのです。

M
: そうでもあり、そうでないとも言えます。知ってのとおり、私たちは否定と肯定の両方のパワーを具えているのです。けれども、時々悪魔は私たちの内面に存在するように、外にも存在することがあります。他の人からもたらされることもあるのです。けれども、私たちの肯定的な面が非常に強ければ、内面の否定的なパワーは自然に制圧されてしまいます。それが第一です。第二に、私たちの周りの人から発せられる否定のパワーや、意図的に私たちに向けられたりしている他の人々の否定的なパワーも、肯定的なパワーの前には屈せざるを得ないのです。

  ですから、それが修行することの重要性なのです。常に神と共にいることや、毎日メディテーションをすることが、私たちの本質の肯定的な面を発展させるのです。ですから、その女性がそういったたぐいのいわゆる悪魔などを見た時、彼女は本当に見たのです。悪魔もどこにでも存在するからです。ただ、私たちは肯定的なパワーが強いので、そのようなものを見ないのです。私たちがちょっと否定的な面に傾いたり、否定的な境界(きょうがい)を覗いてみたいと思えば、私たちもそういったものを見るかもしれません。

  否定的なパワーがどこから来るものなのか、私はみなさんに説明しなければなりません。私は仏教教典を引用して、それを科学的観点から説明できます。現在、非常に有名な仏教教典の一つに「楞伽経(りょうがきょう)」というものがあります。釈迦牟尼仏は、「人間は自らの行為や生活様式の中から、ありとあらゆる悪魔を作り出せる」と言っています。例えば、肉食をしたり、攻撃的になったり、憎しみを持ったりすることは、一種のエネルギーを作り出します。そして、それがゆっくりとこの種の暗黒の力を形成するのです。そうすると、それはどんな形でも姿を現せるようになります。ちょうどエネルギーが、時々ある形をとって出現できるのと同じことです。

  例えば、私たちは電磁エネルギーを使って、ボタンを押すだけでスクリーンに形を映し出すことができます。何もない所から、ただの電気や電磁エネルギーからアニメーションを作り出すことができるのです。時々、私たちはあるパワーを作り出すことができます。形のあるものもあれば、形のないものもあります。同様にこの種の邪悪なパワーは形になって現れることができるのです。それらもまた一種のエネルギーだからです。そのエネルギーは増強され、また形を形成することも可能です。そして、それらは否定的なパワーなので、非常に歪んだ形の悪魔や魔王のような形で姿を現します。それで、彼らの外見はそれほど美しいというわけにはいかないのです。人々は時々そういったものを見ることができるのです。

  そういうことで、私たち人間もまた悪魔を作り出すことができます。けれども、こういったものは本物ではありません。ある意味では彼らは幻想であり、ちょうど天使のようなものです。天使は形をもって現れますが、本物ではありません。永遠のものではありません。彼らを消滅させることも、追い払うことも、数を増やすことも、減らすことも可能なのです。彼らは本物の形ではありません。永遠の存在ではないのです。内面に神の本質を持ち合わせていないのです。

  人々は訓練することで、時々自分で悪魔を見ることができます。ちょうど、私たちが自分で神を見ることができるように訓練するのと同じです。ですから、あるブードゥ教の信者や、いわゆる呪術師は、自分で悪魔を操れるように訓練をしているのです。彼らを制圧したり、何らかの目的で使うためにです。それは可能です。悪魔を作ることさえできるのです。私たちにそうしたことができることは証明されています。それらは、エネルギーを通して悪魔の姿を形成できるのです。

  アレキサンドラ・デービット・ニール女史が書いた「チベットの呪術と神秘」という本を読めば、その中にチベットの人々が一種の意志を集中する法門を訓練すると、自分自身のパワーを使って別の衆生を自分の好きなどんな形にでも作れると書いてあります。みなさんはお坊さんの姿を作り出せるのです。普通の人や美女も作り出せるのです。それらは天界で天使を作り出す方法です。そして、私たちが使っている方法です。時々私たちは、故意にあるいは意図的でなくても、自分の行動や想念を通して悪魔を作ってしまうのです。

  アレキサンドラ女史自身は、その方法を使って、試しに一人のお坊さんを作ってみました。けれども後に、そのお坊さんはコントロールがきかなくなってしまいました。彼はまさしくお坊さんの形で姿を現しました。彼女が言うには、初めはとても陽気で、幸せで、太って年老いたお坊さんで、いい加減なタイプを作ったのだそうです。けれども、後に彼は能力を身につけてしまい、彼女の力の範囲を超えた手に負えない存在となってしまいました。彼はどんどん痩せて、さらに災いをもたらすようなより攻撃的な存在になってしまったのです。そこで、ついに彼女は自分の全力を使って、彼を消滅させてしまわなければなりませんでした。というのは、みなさんにそういうパワーがなければ、いったん何かを作り出してしまうと、それを消滅させるのは困難だからです。このような事は途方もないおとぎ話ではありません。人々は今でもなお、こういう事ができるのです。

 

天界の音楽か、槍(やり)の音楽か

スプリームマスター チンハイ アメリカ・カリフォルニア 1994.3.9(英語)ビデオテープ №409

Q: あなたは現代音楽の中には、一種の否定的な気持ちや雰囲気を助長するものがあると思いますか。現代音楽にはまさにそういう雰囲気を作り出す傾向があり、現代の若者やおそらく世界にとっても、より邪悪な環境を作り出しているのでしょうか。

M
: ええ、それも原因の一部ですが、あるものはすでに何世紀にも渡って人類のさまざまな心情から生じ、存在しているのです。それで私たちが故意にそれに何かを加えれば、当然、いっそう強化されます。音楽というのはとても影響力があります。それは科学的にも証明されてきています。みなさんが人々にソフトで優しく穏やかで、愛のこもった音楽を与えれば、彼らは穏やかでリラックスし、非常に優しく、愛で満たされていると感じます。けれども、不調和でとても恐ろしい音楽を与えれば、気が狂い、互いに戦い合うようになるのです。

  ちょうど、それは人々が戦場に戦いに行く時のようです。人々がどのような音楽を聞かせられているかご存じですか。それは、「愛しています」とか、何かそのような音楽ではなく、「ボン! ボン! ボン! ドーン! ドーン! ドーン!」といったものです。兵士にはあらゆる種類の死の音調と、攻撃的な旋律が与えられるのです。それを聞くと、彼らはただひたすら進軍を続け、そして無鉄砲に死んでしまうのです。というのも、その時こそ彼らが人を殺したいと思う時であり、殺気が充満しているからです。ですから、もちろん音楽は非常に重要なのです。




マスターの言葉

私たちはたまに間違いを犯したり、あるいは諦めたり、修行をしたくないと思ったり、また、修行しても楽しく感じずに、心の中で苦悶します。ところが、どうしてそうなるのかわかりません。これこそが「修行の冬」の到来なのです。そんな時は早く栄養補給をしましょう。

修行の冬には心の栄養剤が必要

スプリームマスター チンハイ フォルモサ・西湖禅七 1989.2.13-18(中国語)(MP3-4)

  天気というのはいろいろと変わるもので、時には人を不快にさせる場合があります。また、気候が良い場合もあって、そういう時、私たちは愉快で、リラックスして、楽しくて、それほど悩んだりしません。これは修行にも当てはまることです。すべてがスムーズに行き、戒律をきちんと守り、落ち着いてメディテーションができ、信念が強く、家庭は平和で、また、仕事や商売が順調だと、私たちは心地よく感じます。その時は、きっとマスターや神や聖人が私たちを助けているのだと考えます。

  修行していると困難に遭遇することがありますが、それはちょうど、冬は寒くて、その上雨まで降って快適ではないのと同じです。戒律を守るのに迷いが生じたり、信念が弱まったり、修行が後退したり、あるいは先に進まないように感じたりして挫折感を味わうことがあれば、それが「修行の冬」なのです。修行が順調な時は、「春」あるいは「夏」であると言えるでしょう。気候は春夏秋冬に分かれていますが、私たちの修行もそれに似ていて、毎日が同じだということはありません。ですから、私たちはたまに間違いを犯したり、あるいは諦めたり、修行をしたくないと思ったり、また、修行しても楽しく感じずに、心の中で苦悶します。ところが、どうしてそうなるのかわかりません。これこそが「修行の冬」の到来なのです。そんな時は早く栄養補給をしましょう。

  例えば、冬に雨が多くて寒い時、もし体の不調や体力不足を感じたら、漢方医に見てもらって栄養剤を飲んだり、少し栄養のある物を食べたり、あるいは毎日一食増やすなどして、春になるまで体を保とうとします。春にはそれほど多く食べなくてもすみますし、夏は少ししか食べなくても体は心地よく感じて、冬のように疲れたり、気が滅入ったりすることはありません。

  修行がうまく行かない時、それは冬と同じなのです。でも、しばらくすれば過ぎて行くでしょう。「修行の冬」の状態にいると、混乱したり、気持ちが後退したり、人に騙されたりしやすくなります。また、気がふさぎ、修行は進まず、修行したいとも思わず、あるいは物事が思うように行かなかったり、スムーズに行かなかったりします。けれども、それはすぐに過ぎて行き、なんでもなくなることを私たちは知るべきです。その時に、たとえ私たちが間違いを犯したり、修行が後退したり、信念をなくしたとしても、自分自身を許すべきで、できれば早く元気づけてやりましょう。例えばリトリートに行ったり、もっと頻繁にマスターや修行仲間に会ったり、グループメディテーションに参加したりし、マスターの本をより多く読み、テープをたくさん聞きましょう。これが私たちの「心の栄養剤」であり、補給すればずっとよくなります。そうなれば、私たちは「春」が来るまで修行を続けられます。「春」になればとても楽になって、それほど補給せずにすみます。




魂の高揚

             スプリームマスター チンハイ


                 最新DVD


743 菩薩の憂い

744 愛に生きて

      <オゥラック語版、9カ国語字幕;オゥラック語、簡体字、繁体字、ドイツ語、
       英語、仏語、日本語、韓国語、スペイン語>

このDVDは、スプリームマスター チンハイの美しい詩をもとにした独創的な歌です。愛の不思議、別れの苦しみ、神への渇望が表現されているスプリームマスターチンハイの詩は、深く心に感動を与え、魂を大変向上させます。これは、オゥラックの才能ある作曲家が作曲し、有名なオゥラック歌手によって歌われています。そして、アメリカとオウラックで見事に録音されました。
この素晴らしい音楽ビデオをぜひ鑑賞してください。きっとあなたを詩的で音楽豊かな、愛と魂のうっとりする世界に誘い出してくれることでしょう。

 

668 見えない通路

   南アフリカ、ダーバン 1999.11.26 <英語講演+ズル通訳+ 24カ国語字幕 >

人々は時々神に祈る時、なぜ答が帰ってくるのにこんなに時間がかかるのだろうと思います。マスターは、物質世界には時間の観念があるので、長い時間がかかっているような気がすると説明しています。しかし、なぜ私たちは最初に時間と空間をこの惑星に作ったのでしょうか? その後の影響はどうだったでしょうか? この問題についての巧みな説明を、マスターはDVDの中で語っています。今日、天国と俗世に同時に生存することは可能なことなのか? 神と交流せずに頭脳ばかり働かせていると、この世で苦しむことになるのはなぜなのか? 苦しみや迫害、理不尽な扱いを受けて辛くなった時、どのようにして真の内在の平安を保ち続ければよいか? マスターが与えてくれるメディテーションの鍵とは何か? 人生を決定するのは神なのか、それとも私たち自身なのか? マスターはこのような質問についても言及しています。

 

修行日記 ‐2003年 マスターから愛の贈り物

  修行仲間の要望に応えて、マスターの修行日記初版が、2003年初春に出版されます。
私たちは、「内在の体験は他の人に漏らしてはいけません!」という言葉をよく聞きます。あなたは、自分の感覚や体験の宝を他の人と分かち合う機会を奪われたと感じることはありませんか? ご心配なく! 修行日記は、あなたが完全に自分を解放したい時に、その場を提供します。マスターが偏在する全知の力であなたの祈りに答えてくれた時の内在の体験や魂の至福、奇跡的な出来事すべてやメディテーション中の超世界での幻想的な魂の旅を、あなたの経典の中に書き留めたり、このような感覚や体験を表現できない時は、色とりどりの絵で描くことができます。


  修行日記の表紙は、つや消し加工された優雅でノスタルジックで色とりどりのプリントがつけられた日本製の高級亜麻紙で作られています。このような特色を持ったこのノートは、きっと長くあなたの忠実な聞き手となることでしょう。この日記は、2003年から2004年度のカレンダーやマスターの芸術作品の模様が掲載されています。素晴らしいことにそれぞれのページにはマスターの甘露法語が一つずつ、英語と中国語で印刷されています。修行日記は、男女兼用で、心情を表現する自由覧があります。あなたの最愛の友人や親族への素敵な贈り物としても最適です。というのは、マスターの絵画、扇子、ペイントされた石や詩から、力強く穏やかなマスターの愛が毎日あなたの愛するものと対面することになるからです。

 


 

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