もしこの世界を手放していないのなら、天国の境涯に達することは出来ません。
同じことが聖書にもあります。「汝は神と富の神の両方に仕えることは出来ない」と。


〜スプリームマスター チンハイ

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uマスターの言葉
集中と無我の貢献心

u最高の芸術
ハッピー・ヨギ 蚊よけネット

u最前線
最新刊「平和への道・神と直接つながる」 発表会/2003年台北国際図書展より


uマスターの講義
受けるより与えるほうが喜びは大きい

u問答精選
肯定的な修行のパワーを保つ努力をする/ あなたの時間をメディテーションのために使いなさい/
霊性の探求が最善の愛国心の形です/ エゴの肯定的な側面はとても重要です/


u霊性と科学
科学が証明 慈悲心は健康をもたらす

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平和への道

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u新刊書紹介
「過去」へ戻る旅/ スプリームマスター チンハイ最新詩集

ニュースマガジン  142号
2003年3月20日 出版
1990年4月1日 創刊
発行所: The Supreme Master Ching Hai インターナショナルアソシエーション出版 会社
発行者: 謝 幸玲


スプリームマスター チンハイニュースマガジンは、中国語、英語、オウラック語(ベトナム語)、フランス語、ドイツ語、インドネシア語、ポルトガル語、韓国語、タイ語、スペイン語、日本語に翻訳されています。また、インターネットでダウンロードできます。「観音wwwサイト」のページをご覧ください。


マスターの言葉

集中と無我の貢献心


スプリームマスター チンハイ フォルモサ・屏東・来義センター
1993.1.3(中国語)ビデオテープNo.305

  私たちは何をするにも、集中してすべきです。そうでなければ、良心が落ちつかず、それによって良くない雰囲気がもたらされます。そうすると、たとえ私に叱られなくても他の人から叱られます。それで、私たちは理由がわからずに、「どうしていつも私は叱られるのか?」と思うでしょう。実際、それはすべて私たちの雰囲気が良くないために、他の人を不快にさせるからなのです。私たちの雰囲気は無形ですが、修行者は智慧眼で見ることができますし、彼らの智慧でそれを感じることもできます。ですから私たちは、誰もだませないのです。一般的に私たちが叱られた時の最初の反応は、叱った人のせいにすることです。そして、自分のしたことや目的、気持ちについて反省せずに、相手に腹を立てたり、あるいはマスターに対して不愉快な気持ちになります。

  誰かにとがめられたら、すぐに自分自身をチェックしなければなりません。もし、自分の目的が純粋であると思えば大したことではないとわかるので、安心していられます。もし、自分の間違いに気づいたならば、十分に反省します。いつも他の人を責めないでください。もし、自分の良くないところに気がついたら、反省が必要なのです。毎回人のせいにしてはいけません。どんな人が私たちを叱っても、それが正しければ、その人は私たちの先生になれます。もし、相手の言っていることが正しくないのなら、それは私たちのカルマだと思えばいいのです。(笑い)こうするのが一番簡単です。他にどんな方法があるでしょう。人と一緒に暮らしていると、個性の違い、修行レベルの違い、あるいは前世の因果の関係によって摩擦が避けられない場合があります。ですから、毎日順調でいられることを期待してはいけません。

  この世はとても公平です。みなさんの功績や誠意が無視される心配はありません。なぜなら、自分自身でそれを知っているからです。私たちは神です。内面に神がいるのです。それでもまだ、そのことを誰も知らないのを心配する必要があるのでしょうか?
みなさんは私を100%信じていると言いませんでしたか? 自分にもう少し自信を持つべきです。神は私たちの内面にいます。みなさんは私が遍在していると聞いているでしょう。それなら、どうして他の人が知らないことを心配して功績のために争ったり、競争したり、見せびらかしたりするのでしょうか? 私たちは常に自分に対して正直で、すべての物事に対して純粋であるべきで、わずかな目的のほこりにも汚されてはならないのです。そうすれば、人からますます好かれてくるのがわかりますし、マスターからも注目されるでしょう。

 私たちが事に当たるには、全く無条件で誠を捧げるのが最善なのです。人のために奉仕すれば、すべてを得ることができま す。以前私はどんな修行グループの所へ行っても、ただ明師のそばにくっついて見ていたり、自分のことを見て欲しい、あるいは、あれこれして欲しいと明師に要求したりしませんでした。私はただ奉仕に徹していました。たとえば階段を掃除したり、床を磨いたり、植木に水をやったり。他の人がしていない仕事を見つけたらすぐにしました。特に皿洗いは最も嫌がられる仕事で、みんなが料理を作ってたくさん食べた後は食器や箸が山のように残りましたが、私は毎日それを洗ってとても楽しかったのです。今では、私のために皿を洗ったり、階段をきれいにしたり、床を磨いてくれる人がいます。

  ですから、みなさんは何も期待せずにまず奉仕すれば良いのです。私たちの運命がどうであれ、神が手配してくれます。期待しすぎてはいけません。修行者とは、単に解脱を望むのみです。自分の欲望、名利心、競争心から解脱するのです。今、このような事から解脱できなかったなら、いったい、いつできるのでしょうか? 生きているうちに天国が見られないのに、この世を去った時に天国が見られるでしょうか。その時は、習慣にはできないでしょう(笑い) なぜなら、一度何かを習慣にするとそれを変えるのは難しいからで、その習慣は私たちの所に戻りたがり、やがて私たちは懸命にあがくのです。

  何をするにも自分の良心がとてもすっきりして安定していれば、それは正しいのです。私に尋ねる必要はありません。誰かのためにする必要もありません。しばらくすると私たちはそれが習慣になり、自然に変わります。自分が何をすべきかわかるようになります。私たちはやっていない事に気づいたらすぐにするようになります。その時、私たちはどんな仕事も嫌がりません。現在みなさんがしている人々への奉仕を、私は以前すべてしました。大したことではありません。どんな仕事でも卑しくはありません。こんなに弟子が多くなる前は、私は自分でセメントをかき混ぜて弟子の住居のためにセンターを建設したり、トイレを作ったりしました。私にできないことは何もありませんでした。ただ、今は弟子の数がとても多くなり、たいへん有能なので、仕事をみなさんに任せているのです。もし私が自分でやると、みなさんは悲しむでしょう?(聴衆:そうです) みなさんの中には、きっと私の体を守ったり助けたりしたがっている英雄がたくさんいると思います。(笑い)

  私たちがこのような仕事をしても、もちろん利子や給料はありません。しかし、とても光栄なことです。他人の世話をしたり、生きとし生けるものや修行仲間に奉仕するのはとても光栄なことです。それが私たちの最高の利益なのです。そうでなければ、この世の名声や富を得るのは簡単です。一生懸命働きさえすれば、手に入れられるのですから。この仕事は栄誉だけです。私たちは褒美を得るためや、マスターの機嫌をとるためにしているのではありません。下心を持ってするなら、それは一種の賄賂になります。私たちは、自分自身がしたいから、それを楽しむために仕事をすべきです。それこそが最高の利益なのです。他に何も期待すべきではありません。私も同じです。宇宙で私のしている仕事をできる人は、そう多くはいません。しかし私はやれます。そう考えると気分が良くなります。たとえそれほどしたくない仕事でも、する時はするのです! それでもまだ何か天恵を期待すると言うのですか?(拍手)

 

最高の芸術

ハッピー・ヨギ 蚊よけネット

(表紙裏説明)

マスターが新しくデザインしたハッピー・ヨギ蚊よけネットで、これからの蚊の被害から逃れることができます。
軽いデザインで、メディテーションする際に直接ピラミッド型の先端を頭に乗せます。ほとんど重さを感じることなく、まるでピラミッドの中で座禅をしているようです。一人用の傘と同じようにかけたり、ハンモックで、またベビーベッドの上にかけてぶら下げれば、全身をカバーします。収納後は軽く小さく携帯にとても便利で、3秒で収納して持ち歩くことができます。
とてもきめ細かい網目の素材で、どんな小さな蚊も通り抜けできません。しわになりにくく、使用中も全く圧迫感がありません。微風のさわやかさを楽しみながら、蚊や虫の心配もなく、長時間メディテーションすることができます。



最前線

新刊書「平和への道‐神と直接つながる」発表会


2003年 台北国際図書展より

リポート/フォルモサ・台北ニュースグループ


  図書展初日の2月11日、人波は絶えることなく会場に入って行きました。最近出版された「平和への道‐神と直接つながる」の特色と非凡な面を人々にさらに深く理解してもらおうと、私たちは図書展会場での展示のほか、国際会議場でも新刊書発表会を行いました。参加した来賓の中には各界の著名人も含まれ、これまでにない賑わいでした。

  座談会が始まり、司会担当の元中廣ラジオ放送アナウンサーの李剣虹さんがまずVCDでスプリームマスター チンハイの足跡と、「平和への道‐神と直接つながる」の出版の背景を紹介しました。そして、出版前にこの本を読んだ多くの方々から「20世紀の平和の叙事詩」である、との賞賛を受けました。座談会は国防医学院の羅時鴻教授と先住民多文化芸術団団長の亜磊絲さんの司会で、招聘客の立法院図書館顧敏館長、輔仁大学社会学部王慶中教授、再生緑生物科学技術会社技術研究室総監凌雲h医師、中国文化大学哲学研究所石朝穎教授、中華民国身心喜悦協会翁継業議長、台湾大学阮芝生教授などの専門家がそれぞれ政治学、社会学、医学、哲学、身心発達、歴史考証、仏教学などの角度から「平和への道」について討議し、その真価を裏付けました。彼らの透徹した独創的な分析と、二人の司会者のユーモアを交えた会話によって座談会の雰囲気は知性と感性に満ち、人々の喝采を博しました。

  顧館長は、「平和への道」が彼に与えた啓示は「真」と「慧」という単純な二文字であり、この「真」と「慧」を通して愛を伝えている、つまり、スプリームマスター チンハイ の一貫した誠実な態度によって、神の大きな愛が世の中の人々に直接伝えられた、と指摘しました。

  続いて王慶中教授は、中国では数千年来「静」についてたいへん多くの時間をかけて研究されてきたが、スプリームマスター チンハイの本の中にも、この「静」に関する深い解釈と重要性が見られる、と付け加えました。彼は、人との分かち合いの接点は「静」にあり、人の心の発展もこの「静」にあり、「静」によって人の心の秩序が立てられるが、これはかけがえのない禅の修練であり、メディテーションは「静」に至る最良の方法である、と述べました。

  凌雲h医師は、科学技術の進歩によって現代人の寿命は延び、物質的にも以前よりもずっと快適になったが、人々の心には依然として虚しさが存在し、医者は肉体の面倒を見ることしかできない、との考えを示しました。そして、この生命のはかなさに対する恐怖を取り除き、生命の原点とつながりたいのであれば、スプリームマスター チンハイの書籍「平和への道」から答えを見つけることを提案しました。

  石朝穎教授は、一般の人々は、時代が違うことから聖書や仏教経典などの古文書の意味を十分に理解できないが、スプリームマスター チンハイは私たちと同時代を生きており、彼女の言葉は人類古来の永遠不変の真理を分かりやすく説明し、さらに、現代人の心に親しみやすく、その心を深くとらえ、啓発するものである、と語りました。

  翁継業議長は、本当に問題を解決する方法は真の鍵を見つけることであると指摘しました。彼がこの本を推薦する理由は、そこから問題解決の根本をすべて見つけられるからです。この本は、世界が希望に満ちるメッセージをもたらし、また、私たちに神とつながることのできる方法を提供し、それらにより、この時代の運命が書き換えられるからである、と述べました。

  2年前に中研院でスプリームマスター チンハイと素晴らしい会談をした阮芝生教授は、スプリームマスター チンハイが伝授しているのは「声にも出さず、記録もなければその痕跡さえ見つからない方法」である、とこの本の中で彼女は言及している、と述べました。そこで、歴史考証を重視する阮教授は、数種類の重要な仏教経典を十分に調べました。そして、「心経」「華厳経」「楞厳経」「六祖壇経」などの経典の中で、古代の聖哲がみな一種の、無言の伝授の存在について語っていることに気づきました。しかし、それらの中には詳細な記載はありませんでした。「つまり、これこそがスプリームマスター チンハイが現在伝授している無言の真経なのではないでしょうか? この問題は、宝探しに興味のある人が自ら答えを見つけられるよう、残しておきましょう」教授はこう結びました。

                     愛の道を行く


  音楽は人類共通の言語であり、跳躍する音符を通して、人種、肌の色、文字、宗教など多くの壁を越えることができます。2月12日にスプリームマスター チンハイ インターナショナル アソシエーションが台北国際会議場で行った「愛の道を行く」と題した音楽会では、国際的な主席チェリストの顧美瑜さんとアマチュアのクラシックギタリストである張佑銓さんが数々のスペイン風歌曲の演奏を行いました。彼らの演奏は、ラテン民族の情熱的で楽観的な自由と平和を求める心の声を表していました。私たちも会場でハンガリーの首都ブタペストでのマスターの講演会のビデオを放映し、来場者の共感を得ました。その後、100人程の来場者が会場に残って観音法門の方便法を学びましたが、その誰もが、個人的な浄化を通して、この世界の平和の気運を高めることを望んでいました。

  私たちの切なる願いは、平和な心の鐘の音が世界各地に鳴り響き、人類が戦火の傷から遠く離れて、内面および外面の平和な道を真に獲得することです。

                   生命を探る講習会


2月13日からは、自然界の生命の元である「大地、水、火、風」をテーマとしたさまざまな「生命を探る講習会」が図書展会場で次々と開催されました。会場には大勢の人々が次々と訪れ、完全に観音ファミリーの喜びと心地よい雰囲気に融け込んでいました。毎日、十数名の来場者が方便法を受けることを希望し、神との交信を試みました。訪れた人々は競って平和祈願の言葉を書いて会場に設置された「生命の樹」に飾り、世界平和のために祈っていました。


マスターの講義

受けるより与える方が喜びは大きい


スプリームマスター チンハイ アメリカ・フロリダセンター 2002.12.25 (中国語)

  私たちはなるべく人を助けるべきです。できる限りのことをしますが、それは、毎日必ず外に出て何人かを助けなければならないということではありません。そうではないのです。それは自然に行うべきで、私たちの愛の心を自然に発揮するのです。例えば、私は時々ホームレスや貧しい人を見かけると、すぐに彼らが必要としている物をあげます。目にしたらすぐにです。(修行仲間:しかし、私は助けが必要な人が多すぎると思います。きりがありません) 助けが必要な人を見かけたら自然にすればいいのです。できる時にすればいいのです。できなければ次の時でもいいでしょう。無理をする必要はありません。

  人助けはとても光栄で、とても楽しいことです。仕事でも責任でもありません。もしもあなたが、人を助けることに責任を感じるなら、しない方がいいでしょう。喜びを感じる時だけするべきです。なぜなら、それは私たちにとって光栄で幸運なことだからです。人に物をあげる時は、本当にとてもうれしいものです。人を助けることは、本当に気持ちのよいものです。

  おととい、私は犬にソファーを買ってやろうと思って出かけましたが、結局買いませんでした。店で売っていたソファーはみな大きくて、それを置いたら私の小さな部屋が狭くなってしまうからです。犬たちには自分用のベッドがあります。けれども、昼間外に遊びに出たり入ったりしている時、疲れても休む場所がないのです。普段彼らは家の中で私のソファーに座っています。(笑い) それで買ってやろうと思ったのです。

  その時、私はある店に入ったのですが、ソファーを見つける前に、二人の子供が悲しそうにしているのを見ました。子供たちは母親にこう言っていました。「ねえ、お願い! 今日買って帰りたいの」 私はそばで彼らの会話を聞いていました。大体の事情はこうです。母親は二段ベッドを買うつもりでしたが、まもなく引越しをするので、今買うとその時にまた運送料がかかるし、しかもベッドを分解して新しい家でまた組み立てなければなりません。母親はお金がたくさんかかるので、今は買いたくないのです。

  私は店長に言いました。「私が二度目の運送料を払ってもかまいませんか? 先にお支払いしますので、彼らが引越しする時にもう一度運んであげてください」 子供たちはそれを聞くと大喜びで、とてもうれしそうでした。彼らはすぐに私の住所や電話番号、名前などを聞こうとしました。(笑い) 私は言いました。「いえ、急いでいるので失礼します。あなたたちがプレゼントだと思って、喜んでくださればそれでいいのです。何も聞かないでください」 そして私はすぐに帰りました。

  その時、私はとてもうれしく思いました。なぜなら、子供たちの目が輝いたからです。そしてこう言いました。「えっ、本当ですか? ありがとうございます! あなたはサンタクロースですか?」(笑いと拍手) 下の子供は母親にこう言いました。「ママ、サンタクロースは本当にいるんだね!」 彼らは、もしその日に買わなければクリスマスに新しいベッドで寝られずに、来年の引越しまで待たなければならなかったし、私もそのベッドを見て、とても気に入ったのです。(笑い) デザインが子供にぴったりで、色がとても明るくてきれいでした。しかもそれほど派手すぎず、二、三色の組み合わせで、たいへん感じの良いものでした。私は、この子供たちはとても見る目があると思いました。しかし、母親はおそらく50ドル余分に払いたくなかったのでしょう。もったいなく思ったのか、それとも彼らにとっては少なくない金額だったのかもしれません。

  そして店長は私に言いました。「50ドルかかるのをご存知ですか?」 私は言いました。「それは構いません。子供たちが喜んでくれればそれでいいのです」私は彼に100ドルを渡して言いました。「万が一、50ドルで足りなかったら残りも使ってください。とにかく今日、子供たちがベッドを手に入れられるようにしてください。もうすぐクリスマスです。大切なのは子供たちを喜ばせることです。私は子供好きなのです。お願いできますか?」 彼は言いました。「OK、いいですよ」 そして、私は足早に去りました。元々は犬用のソファーを買うつもりだったのですが、結局そこにいられなくなって、見ないうちに帰ってしまったのです。(笑い) と言うのは、その時親子が近寄ってきて、電話番号やいろいろな事を聞き始め、礼状を出したいなどと言ったからです。私はこう言いました。「いえ、いえ、結構です。本当に必要ありません」。もしも毎回人から感謝の手紙をもらったら、私たちのポストに入りきりません。(笑い) 私は支払いをすますとすぐに帰りました。その時はとてもうれしい気持ちでした。たいへん幸せそうな子供たちを見て、自分も幸せになったような気分だったのです。

  私たちは何か好きな物がすぐに手に入ると、子供のように、わあっ!と、とてもうれしくなりますよね。もし二ヶ月待たなければ手に入らないなら、その間に事情が変わってしまうかもしれません。そうでしょう?(答える:はい) しかももうすぐクリスマスです。子供たちの母親は買わないとは言っていません。そして子供たちを愛しています。私が見た限りでは、その家族にはあまりお金の余裕がなさそうでした。ですから、私が代わりに運送料を払うと言った時、彼らは驚いて言葉が出ませんでした。私は言いました。「私は子供が大好きです。しかももうすぐクリスマスですから」 。その後も彼らは感謝の言葉を言い続けたので、私はこう言いました。「いいえ、私が感謝すべきなのですよ。あなたたちは私にこの機会を与えてくれて、とても喜ばせてくれたのですから」 。本当にそうなのです。

  ですから、私たちは人を助けるチャンスがある時は相手に感謝するべきです。私はその子供たちを助けて、喜びを与えるチャンスを与えられたことに本当に感謝しています。なぜなら、他人からの助けを受けたいと思わない人もいるからです。彼らはみなさんの目的を疑います。しかし、あの時は、店長もとても協力してくれて、みながその事について大いに賛成してくれているようでした。とてもスムーズで、愉快な感じでした。ですから、人を助けることは一種の責任ではなく、非常に光栄なことなのです。みなさんに大きな喜びを与えます。私はその日一日、とても喜びを感じていました。(笑い)

  (修行仲間:けれども、私はたくさんの人々が助けを必要としていると思うと、とても疲れます) そうしなくてもかまわないのですよ。あなたはどこでそんなにたくさんの人が助けを必要としているのを見たのですか? 誰か助けが必要な人に出会ったら、助ければいいのです。私たちは世界中の人を助けることはできません。世界中の人を助けることができても、まだ地獄の衆生や動物もいるのです。ですから、目の前で何か必要な状況が起これば、それだけをすればいいのです。毎回一つのことをすればいいのであって、その後また何かをしなければならないと考えることはないのです。今日、誰かが助けを必要としているのを見たら、できることであれば助けてあげてください。もしできなければ、心から応援すればよいのです。

  例えば、先程の母親に私たちはこう言ってもいいのです。「まあ、このベッドは本当にすてきですね。子供たちに買ってあげたらどうですか?」 こんなふうでもいいのです。金銭的な援助とは限りません。私たちは心から応援して、彼らに喜びを与え、励ましてもいいでしょう。彼らがその日買えなくても大丈夫です。子供たちにこう言えばいいのです。「大丈夫よ。一ヶ月はあっという間だから、すぐに手に入りますよ」 例えばこのように励まして、自分自身も喜んでそうするのです。しかし、どんな状況でも無理して何にでも口出しすればいいというわけではありません。そういうことではありません。違います。とても自然にするのです。あの日のように、神はぴったりのタイミングでチャンスを与えてくれるので、その通りにすればとてもスムーズに進んでいるのを感じて、うれしい気持ちになります。人を助けられることは本当にうれしいことです。万が一、その時助けられなかったら、私もとても悔しく感じます。子供たちが手ぶらで帰り、一ヵ月後にやっと手に入れられるのだと思うと、私も愉快ではありません。ですから、私はその時助けることができて本当にうれしかったのです。

  ですから、私はみなさんにこう言いたいのです。人を助けるのは一種の責任ではなく、自分自身に喜びと気持ちよさをとても感じさせてくれることなのです。私は常にこんなふうにしているので、いつも喜びを感じています。(笑い) わずか一回限り、あるいは、二、三度だけ喜びを感じるのではなく、人を助ける時は毎回喜びを感じます。もちろん、毎回違った喜びがあります。本当に助けが必要な人を助けられるのは、ええ、とても、とても気持ちがよいものです。もしかすると、その人たちが本当に助けが必要かどうかを疑うことがあるかもしれませんが、求めていれば私は助けます。私たちは彼らがうそをついているのかどうかと疑ってはいけません。万が一、彼らが本当にうそをついていても、それは本人の問題です。私はやはり彼らを助けます。その時、私はそれほど喜びを感じないかもしれませんが、疑って助けないよりはましです。なぜなら、家に帰ってこう思うかもしれないからです。「ああ、あの時彼らを助ければ良かった」と。

  町でホームレスの人を見かけた時に、乗っている車がさっと通過してしまうことがあり、そんな時は遠回りして戻らなければなりません。そして彼を助けた後、私はようやくうれしくなります。もし、そのまま通り過ぎてしまって彼を助けに戻らなかったらば、家に帰っても気持ちはすっきりしません。自分は、できる限り一歩でも多く歩いて助けに行かなかったのだと感じます。ですから、どうして人助けをとても難しいと感じる人がいるのか、私には本当にわかりません。みなさんはわかっていません。本当にわかっていません。多く与えれば、多くの喜びを知るのです。与えれば与えるほど、喜びを感じます。私を信じてください!(笑い) たくさん与える必要はありません。つまり与えられる分だけ与えればよいのです。全財産を人に配る必要はありません。そうすれば、自分と家族の分が足りなくなります。そうではありません。そうではないのです。私たちは自分の家族の面倒も見なければなりません。面倒を見て余裕があって、もし、まだ人を助けることが可能なら、できる限りするのです。そうすると、みなさんは大きな喜びを感じられます。

  私たちは困っている人を助けた時、とても気持ちよく感じます。自分がもらったような感じがします。私たちはその人たちのうれしい気分を受け取るのです。この理屈はとても簡単です。例えば、みなさんが非常に助けを必要としているとします。そこへ誰かが突然助けに来ました。その時みなさんはとてもうれしくありませんか?(答え:うれしいです!) こう考えればわかるはずです。超能力を使って知る必要はありません。ですから、相手の喜びはみなさんの喜びになるのです。なぜなら、相手の、その時の気持ちをはっきりと理解できるからです。お腹をすかせた人たちが食べ物をもらう時、どんな感じなのかみなさんにはわかるでしょう。

  同様に、私が人を助けた時はその相手になったようになります。ですから、私は喜びを感じるのです。私が誰かにあげると、その人は私になったようになります。ですから、私とその人の両方が喜びを感じます。しかし、私の方がよりうれしいのです。なぜなら、私はただ単にその人の喜びを感じるだけではなく、自分がその人に喜びを与えられたということも知っているからです。ですから、両方合わせると、私の方がその人よりももっとうれしいのです。「受ける人より与える人の方が喜びは大きい」 というのはこういうわけなのです。

  ですから、もしみなさんが人に与えず、助けないのであれば、本当に惜しいことです。とてももったいないことです。そのような喜びと幸せを得るチャンスを逃してしまうからです。私はみなさんを脅して施しをしなさいと言っているのではありません。ただ、みなさんに知ってほしいのです。それは本当にみなさんに喜びがもたらされるチャンスだからです。カルマがあるかどうかは後で考えればいいことです。与える時、カルマは放っておきます。ただ、必要な人たちのことを考えて、自分のことは考えないのです。そうすれば私たちは喜びを感じます。もし、その時まだカルマがあるかどうかを考え、与えながら怖がっているようなら、与えない方が良いでしょう。なぜなら、その場合、みなさんは喜びを感じられないからです。与える場合に、その後のことを全く気にしない時、初めて喜びを感じられるのです。


問答精選

肯定的な修行のパワーを保つ努力をする


スプリームマスター チンハイ アメリカ・フロリダ 2002.5.11(英語)

Q: 質問があります。私は正しいことをしよう、修行をしようと悪戦苦闘しています。そして、自分と戦っている何かがあることがわかっています。そこでどのようにすれば、このじたばたとした状態を超越できるでしょうか? どのように打ち勝てばいいのでしょう?

M:
そこに面白さがあるのです。(マスターと聴衆笑う) もし、あまりにも簡単すぎたら、あなたは目標を失い、それに打ち勝とうとすらしません。わたしたちの内面には二つの力があるのです。中国ではそれを陰と陽と呼び、西洋の言葉では否定と肯定と呼びます。否定的な力は、私たちの意志に反する何かをするように後押しをし、肯定的な力はそれに打ち勝つよう手助けをしてくれます。私たちは負ける時もあれば勝つ時もあります。勝敗は霊性の訓練と力の具合によります。

  ですから、ちょうどアメリカ合衆国が、世界の難民問題や戦争で奮闘しているように、戦い、そして継続するよう努力してください。時には最終的にあなたが勝利しますが、その勝利は、単にいくつかの苦闘をくぐり抜けたということにすぎないのです。

 

あなたの時間をメディテーションのために使いなさい


スプリームマスター チンハイ ボストンセンターでのビデオ・カンファレンス 2002. 9. 28 (英語)

Q: 親愛なるマスター、私はお約束した通り2時間半のメディテーションをするためにベストを尽くしています。でも時々、日常の生活に追われ、この要求された時間を満たすのが困難なことがあります。この板ばさみ状態について、どうか私にアドバイスをお願いします。

M:
私がどのようにアドバイスできるというのでしょう? あなたは自分の生活が、時間を確保させてくれないと言っています。それでは私は何をすればいいですか? あなたがメディテーションの時間を取れるように、あなたを殺し、あなたの周囲の人々を全て殺しましょうか? もちろん、生活とはそのようなものなのです。この世の生活を優先させてはいけません。あなた自身が日常生活をコントロールするべきです。日々の生活に支配されてはいけません。一度きりの人生なのですから。どんな未来が待ち受けているのか、あなたには決してわかりません。ですから今、この人生で成し遂げるのです。メディテーションのための時間を作るように努力してください。必要のないことは何でも切り捨てるのです。電話でおしゃべりをしたり、新聞を読んだり、テレビを見たり、友人と会ったり、コーヒーを飲んだりするのを減らすのです。できる時はいつでもメディテーションをしてください。たとえそれが、ここで5分、あそこで10分、というような時間だとしても。どんな時でもベストを尽くすのです。メディテーションの座布団にきちんと坐れた時間だけを数える必要はありません。時間が取れる時はいつでも目を閉じ、神のことを思いながら瞑想すれば、メディテーションの時間として勘定に入れていいのですから。休憩時間のすべてをメディテーションに当ててください。イスラム教徒は1日に5回祈ります。少なくとも私はみなさんに、1日にたったの1、2回しか要求していないのですから、言い訳をせずにメディテーションしましょう。

 

霊性の探求が最善の愛国心の形です


スプリームマスター チンハイ  インドネシア・ジャカルタでのビデオ・カンファレンス 2002. 10. 6 (英語) 

Q: メディテーションや社会的な物事への対応は別にして、私たちの国が社会的な調和と連帯感を取り戻し、最も発展した国へと修正するよう手助けするために、私たちは何をするべきでしょうか? それは、国家が公的に表明された歳入によって判断されるのではなく、神の恵み、平和や愛のパワーを通して確立されるべきものと確信しています。

M: あなたの内面のパワーで、できることをしてください。メディテーションをする時、もちろんあなたは自分の国のために良い志と祝福を生み出しています。そしてメディテーションを終えた後も、あなたは依然としてサマディからの祝福を受けています。ですから、あなたがいつどこへ行こうとも、人々は平和と調和を感じて大きく影響されるため、今度はその人々が他の人々と調和と平和の中で影響し合います。それがこの地球を、国家をより良くしていく方法なのです。けれども、もちろんあらゆることには時間が必要です。あなたが自分の国を愛するのは良いことです。とても素晴らしいことです。わたしたちはあらゆるところでベストを尽くすのです。

 

エゴの肯定的な側面はとても重要です


スプリームマスター チンハイ イギリス・ロンドンでのグループメディテーション
1998. 3. 10 (英語 )ビデオテープ No.631

Q: 私は、人が仕事をする時にそれが成功するかどうかを気にするとエゴが大きくなってしまうのではないかと時々思うのです。それで私はちょっと混乱してしまうのです。というのは、もし人がある仕事をして物質的に成功をおさめたなら、その人はますます物質的になり、仕事に対しても同様ではないかと。そしてその成功ゆえにエゴも同じように大きくなっていくのではないかと思うのです。

M: そのことについては私もよくわかりません。時々みなさんは、成功することや、何かを完璧に成し遂げることに喜びを見出します。それはエゴとは関係ありません。例えば、時に芸術家は自分自身のために一人で暗い洞くつで何かを彫刻します。それはエゴとは関係ありません。誰もそこには行かず、彼を褒め讃えたり、成功したと言ったりしないのです。彼はその作品が自分の思うようにできたことで幸せなだけです。

  私たちもまた創造者です。もし何かを作り、完全に出来上がったら良い気分です。例えそれがエゴだとしても良いことです。それはエゴの悪い形ではありません。エゴというのは、それが誰かを傷つけたり、あなたの修行や進歩を妨げたり、そのために他人の進歩を邪魔したりする時のみ悪いものなのです。なぜなら、自分の成功が他人の犠牲の上に成り立っているからです。そういう時、エゴは悪いものです。

  ですからエゴというのは単なる言葉で、使い方次第で良くなります。これは、私たちが死ぬ前に最後に手放す、良いものなのです。

  けれどもその前に、私たちが仕事をするためには、少し持ち続けていなければなりません。いわゆる「エゴ」なしでは、食べたいとか、ここに座りたいとさえ望みません。あなたはここで何をしているのでしょう。悟ったマスターになりたいと思っています。そして、それもまたエゴなのです。あなたは何かを持っていなければなりません。それは単なる動機、つまり舞台裏で私たちにいろいろなことをするようにと突き動かすものなのです。

  けれども、もしエゴに完璧に屈服したら、私たちはそれにとり付かれてしまいます。横柄になり、無明になり、名声や栄誉、幻影にすぎないこの世の名誉といったものすべてを貪るようになります。こうなるとエゴは悪いものになります。でも、いわゆる「エゴ」は、車の燃料や蓮の泥、バラの肥料のようなもので、人は常にそれなしではいられないのです。


霊性と科学

科学が証明慈悲心は健康をもたらす


Epoch Timesより引用、フォルモサ(ヨギ著)

楽観主義者は神経系を肯定的な思考へと導き、健康に良い化学物質を分泌する引き金となります。この見解は、楽観主義者は病気になりにくい傾向があるといういくつもの研究成果によって、ずっと支持されてきました。

  いつもプラス思考に焦点を合わせている楽観主義者の場合、神経系は体の細胞を健康に保つための化学物質を頻繁に分泌していて、病気にかかりにくくなっています。反対に、悪意と憤慨でいっぱいの悲観主義者は、心がマイナス思考に傾き、ますます悲観的になっていきます。こうして毎日蓄積されていく怒りと反感は、体の細胞を破壊する神経化学物質を連続的に分泌させます。したがって、絶えず悲観的で怒っている人々は、知らず知らずのうちにゆっくりと、しかし着実に自殺をしているようなものなのです。

  私たちが子どもの頃、両親はよくこんなことを言っていました。「何をするにも慈悲深い心を持って行いなさい。なぜなら親切は良い報いをもたらし、悪意は悪い報いをもたらすから」。この教訓に科学的な根拠があることが、私は大学院在学中にやっとわかるようになりました。それにしても幸運なことに「慈悲深い心を持つこと」は私の生活と思考において、常にもっとも大切な信条となっています。


                    思考と神経化学


  大学院の課程で、私は神経化学を専攻しました。この課目のどこに強く惹きつけられたかというと、プラス思考とマイナス思考の両方が、神経系の抑制部分に相互に作用する、という科学的発見でした。つまりこういうことです。人の考え方が楽観的で、穏やかで、感謝に満ち、幸せな時は、神経系の「プラス思考」の部分が活動すると同時に、「マイナス思考」の部分は抑制されて機能しません。逆に、人の心が憎しみ、悲しみ、失意や恐怖心に満ちているときは、神経系の否定的な部分が刺激されて活動し、肯定的な部分は完全に抑制されます。

  その昔、科学者たちは神経系のある特別な特徴も発見しました。それは神経細胞は電気的送信を通して機能し、近道を好むということでした。したがって、頻繁に機能する神経細胞は、めったに使われない細胞より容易に活性化されます。「よく使われるものは発達し、使われないものは退化する」というわけです。

  楽観主義者は、いつでもものごとを肯定的にとらえ、心は感謝に満ち、個人的な攻撃をあまり深刻に受け取ることがなく、神からの助けが得られると信じています。ですから彼らの神経系のプラス思考部分はますます活性化されやすくなり、マイナス思考部分は、使われないなめに退化していく傾向にあるのです。逆に、もしある人が、ものごとの暗い側面ばかりを見ていたり、あらゆることに対して要求や批判ばかりするような態度で接したり、自分を取り巻く状況に対して、しばしば懐疑的になったり怖れたりしていれば、その人の神経系のマイナス思考部分は高度に発達していきます。そして、時間が経てば経つほど、プラス思考を活性化させることが難しくなっていくのです。


                   神経伝達物質と健康


  さらに科学者は、神経系の個々の細胞間で伝達機能を果たす神経伝達物質(ニューロトランスミッター)と呼ばれる化学物質を発見しました。そして注目すべきことのひとつとして、実験によって神経系のプラス思考部分から分泌された神経伝達物質は、身体の細胞を成長、発展させることがわかったのです。つまり、神経系のプラス思考部分をいつも使っている楽観主義者は、常に健康に役立つ神経化学物質を分泌しているわけです。

  研究者たちが、楽観的な人々は病気になりにくいとの結論を下したのも当然です!

  最近の医的研究はまた、体の神経と免疫系には相互関係があることも発見しました。神経系のプラス思考部分が、健康に役立つ細胞の成長を促す化学物質を分泌させると、免疫系統はますます活発化し、より健康になり、病気に抵抗する細胞をより多く作り出します。そうなると自然に、身体は外部から進入する細菌やウィルスに対して強い抵抗力を持ち、そう簡単には病気にかかりません。癌患者が楽観的であれば、普通より早く病状が改善するとも言われています。一方、悲観的な患者は、肉体の免疫系が神経系のマイナス思考部分に完全に支配されてしまうため、こうした幸運を逃します。そして、彼の免疫細胞の多くは死に絶え、もはや保護機能を発揮できなくなるのです。


             神経系のプラス思考部分を活性化させる


  もちろん一般の人々は、いつも100%楽観的であったり、100%悲観的であったりするわけではありません。しかし、もしも私達が、いつも陽気で、平和で、喜びに溢れ、愉快な気分を維持し、憎しみや不満、嫉妬、苛立ち、疑いといった感情を避けることが出来れば、神経系のプラス思考部分は常に機能するでしょう。そして月日がたつにつれて、私達の免疫力は強くなり、病気になりにくい体になっていくでしょう。その上、神経系のプラス思考部分はますます発達し、私達の生活態度はより楽観的になって、良い方へと進歩する肯定的な循環が生まれます。

  近年、数々の奇病が世界中に蔓延してきました。長い間発生が見られなかった伝染病も再流行しています。これは、もしかしたら現代の人々が、昔の人々と比べて、誠実さや慈悲心を失ってきているせいかもしれません。多くの人々の体の細胞が不健康であるがゆえに、実にたくさんの病気が治療困難になっているのです。


                     編集後記


  この、病気の発生増加傾向を阻止するための最善策は、人々が肯定的な態度を保ち、体が本来持っている自然治癒能力を発揮させることです。スプリームマスター チンハイが私たちに言ったように、「ものごとはすべて心で創造されます。そして、私たちの心は私たちが造り出しているのです。ですから私たちは良いことを話し、良いことを考えるべきです。そうすれば否定的なものを肯定的なものに変えることが出来ます。私たちは自分自身の身体の細胞に、良い思考をするように教えなければなりません。何であれ私たちが良いことを考え、口にすれば、私たちの心と身体、そして肉体の何千何億という細胞は、即座にすべてを耳にするでしょう。だから私は、みなさんこそがみなさん自身のマスターだと言うのです」。

(アメリカ・フロリダ 国際禅 2002.12.25 原語はオゥラック語)


甘露法語

平和への道


スプリームマスター チンハイ アメリカ・フロリダ 2001.6.6 (英語) ビデオテープ No.714

  私は世界のすべての大統領あるいは指導者たちは、物事の物質面だけではなく、霊的な面(精神面)を人々に気づかせるよう、もっと努めるべきだと思います。そのほうが、より恒久的だからです。人々に霊的修行について思い出させるのは実に素晴らしいことです。なぜなら、それは私たちの持つすべてだからです。霊的修行は私たちが有するものの中で唯一永久のものであり、この世界と国家間に平和をもたらす唯一の助けとなるものです。もしも全国家がもっと悟ったなら、私たちは互いに、より平和になるでしょう。


マスターが話す物語

聖なる王の模範的態度


日本1991.10.01(中国語)

  私たちが修行する場合、第一に守らなければならないのは‘Ahima’で、非暴力という意味です。この物語は、非暴力の理想についてのものです。

  とても貧乏な人がおりました。ある日、彼がマンゴ園を通りかかると、マンゴの木にたくさんの実がなっているのが見えました。よく熟れたマンゴはとても見事で、おおいに惹きつけられました。というのは、彼はその時すでに三日間何も食べておらず、お腹がペコペコだったからです。そこで、大急ぎで石を探して木の上のマンゴに向かって投げつけました。すると、幾つか実が落ちて来たので、大喜びでそれを拾って食べました。マンゴはとても大きく、彼は嬉々として食べました。

  その時、国王と側室がちょうどマンゴ園のそばで碁を打っていました。思いがけず、その石が落ちる時に、ちょうど国王の頭に当たってしまいました。ああ、運命の定めはこうして最も貧しい人と最も裕福な人を出会わせたのでした。運がよいことに、石は国王の頭には直接当たらず帽子に当たっただけでしたので、国王は幸いだったと思い、踏み込んだ調査をしようとは思いませんでした。しかし、傍にいる側室と大臣はもちろん大変怒って、その石を投げた人物を探しに行きました。彼らは、なぜこの人物が敢えて国王に石を投げたのか、理解に苦しみました。一方で、彼らは互いに功労を争っていたので、その人を捕まえて来て、すぐにその場で会議を開いて議案を決議し、彼に死刑の判決を下しました。彼が大胆にも国王に無礼なことをしたからです。

  しかし、その時国王が立ち上がり、なぜその人物に死刑の判決を下すのかと大臣たちに尋ねました。それから、石を投げた人を連れて来るように言いました。そして国王は彼に尋ねました。「おまえはどうして石を投げたのかね」。貧しい人は言いました。「木の上のマンゴに石を当てて落とそうと思ったからです」。国王はまた尋ねました。「それで、おまえはマンゴを手に入れられたのかね」。彼は言いました。「はい、手に入れました」。国王は再び彼に質問しました。「おまえはそれを食べたのか」彼は「国王に申し上げます。食べました」と答えました。

  それから、国王は大臣たちに尋ねました。「この者は、実はとても貧しく、また大変空腹だったのである。それで石を投げ、マンゴを落として食べたのだ。今、そなたらは、彼がそのマンゴを食べてから何時間くらい満足できるのか、どのくらいの間、腹が空かずにいるのかを私に申し述べよ」。大臣は言いました。「大体24時間満足できましょう。彼は今日一日中腹が空くことはないでしょう」。国王は言いました。「ああ、それならちょうどよい。今、私が判決を下そう」。みなはそこで思いました。「死罪より重い何の刑罰があるのだろう。私たちはすでに彼に死罪の刑を下した。国王は、このうえどんな判決を下したいのだろう」。その場にいる人々はみな、大変緊張しました。

  そして、国王は言いました。「命令を下す。今日から私たちは毎日この者に食べ物を与えなければならない。彼の食用として、彼が往生するまでずっと与えるのだ。今すぐに私の命令を財務長官に伝えよ」。 わあ! みなは大変驚き、大混乱し、心中なぜこんな判決がされるのか、国王はいったいどうしてこんなふうにするのかと思いました。これまで聞いたこともありません。しかし皇后は傍で聞いていて、これは自分が国王に大変良く接していて、二人の仲がとても良いおかげで、国王の気分がこの日はこんなにも良いのだと思いました。それで彼女は微笑み、自分の手柄だと思いました。

  その後、国王は皇后に尋ねました。「そなたに質問するぞ。このマンゴの木は情のある衆生か、それとも無情な衆生であるか」皇后は言いました。「マンゴの木には感情がありませんから、それは無情な衆生です」。国王はまた尋ねました。「それでは私はどうだ」。皇后は言いました。「偉大な国王、あなたはどうしてこのような事を質問するのですか。もちろん人間は万物の霊長であり、なおかつあなたはまたその人間の中の宝であり、偉大で、神聖で、しかも道徳と智慧があります」

  国王は続けて言いました。「最も敬愛する皇后よ。私は一人の情のある衆生であるが、もし、私が自分はあの木よりも良いと証明できなかったとしたら、それでも人としての価値があるのだろうか。もしそうであれば、神が私に、この人間の体をくださっても何の役に立つだろう」。皇后は言いました。「あなたはもちろん人の体に最も値します。神があなたに賜ったこの人身を持つ価値が最もおありです。しかし、あなたはどうしてそんな事をおっしゃるのですか」。国王は言いました。「見るがよい。この貧しい者は石をあの木に投げ、その結果、木はおいしい果物を彼に贈って食べさせ、一日満腹にさせた。その石は私にも当たった。私は万物の霊長で、しかも最良の人間であるが、もし私が彼に食べ物を与えず、彼を一生満腹にさせることができなければ、あの木よりも良くないではないか。(笑いと拍手) だからこそ、私はこの命令を下し、彼を一生養うのだ」

  その時、皇后と側室、大臣、部下、従者たちはみなひれ伏し、国王を礼拝し、さらに賞賛しました。「大王、あなたは真の聖人です。本当にまれに見る、あなたのようにこんなにも愛の心があり、こんなにも慈悲深くて博愛で度量が大きいのは神だけです。神はあなたの内に住んでいるのです。あなたの功徳、福報、愛の心はまるで仏様、イエス・キリスト、あらゆる大聖人のようです。あなたのような国王だけが人民を励ますことができ、人々に、自らの愛、慈悲、そして内面の、宇宙の愛のパワーを発展させられるのです。あなたはみなのために大変よい模範を示されたので、人民はきっと互いに愛し合い、助け合い、自分の行動や言葉や考えを浄化し、同時に心身を改めて修行者になるでしょう。どうか私たちを加持し、あなたのしもべとして永久に従わせて下さい」

  これは大変良い話です。私たちはこうあるべきです。私たちは、時には一本の木よりも劣ります。樹木を叩いたり揺らしたりすると、その木は果実を落として人に食べさせてくれますが、人間を揺らしたり叩いたりしたら、相手はその人を叩き殺すかもしれません(笑い)。本当に木よりも良くない人もいるのです。


マスターの生活録

苦難を喜びに変える


宇宙創造の計画を完全に理解している、高い悟りを開いた聖人たちにとって、人里離れた山の中で隠遁生活を送ることや、世俗から遠く離れることは、一種の幸せであり、そして心配や気苦労からの自由を意味します。

しかしながらこれらの聖人たちは、衆生を助け、真の生活の模範を示すため、時にこの荒涼とした俗世間に留まることを選びます。

このようにして私たちは時々、聖人たちの生活や彼らの崇高な言葉や行為を垣間見る、という恩恵に授かるのです。彼らの行動を注意深く見ることによって、私たちは、進歩した霊的修行者たちが、宇宙の偉大なる智慧を、この俗世間でどのように用いているかを学ぶことができるのです。


スプリームマスター チンハイアメリカ・カリフォルニア 1994.3.9(英語) ビデオテープNo.409

  時に私たちは、問題事を喜びに、不快なことや困難を美しいものに変えることができます。

  例えば、普段私はこのような服装はしないでしょう。(マスターはご自分が着ているベストとスカートのアンサンブルを指差す)そして私は新しい服を作ろうとは考えていませんでした。この間すでにたくさんの服をデザインして以来、私はまだすべての服を着終わっていないどころか、まだ試着すらしていないものもあったからです。でもある人が、私はそれが誰なのか知りませんが、このジャケットを私の部屋にそっと置いていったのです。それは以前、私たちの団体の女性出家者だった人の一人だと思います。彼女は私をひと気のない荒涼としたところに、花々とともに一人残していくことに対して、心からの懺悔の気持ちを表したかったのでしょう。たぶん彼女は、外出してこのベストを買い、ある日窓から私の部屋の中へ投げ入れたのです。でも、そのベストを見た時、私はこう言いました。「ああ神様、どうしたらこれを着ることができるというのでしょう?」(マスターと聴衆笑う)というのも、彼女はベストだけを買ってきたのです。そしてこれは何を意味するのでしょうか? ベストだけをこんなふうに着て共修会に行くことができるでしょうか? 私にはできません。もしかしたら、ある日私がベスト一枚でやって来て、みなさんをショックで気絶させるかもしれません。今のところはまだ、そんな考えは持っていませんが、覚悟だけはしておいて下さい。

  そうして私は「このベストをどうしようか」と考え続けました。なぜならそれに合う服を持っていなかったからです。私の服のほとんどは、保守的なデザインです。チュニック(腰のあたりまでくる女性用上着)と白いズボン、のような感じです。そしてジャケットは「隠さなければならない」場所をちゃんと覆うものを着ています。(マスター冗談を言う)だから人々は、マスターチンハイは道徳的、倫理的で、大変素晴らしい修行者で、とても悟っている、などと思うのです。

  それで、今まで私はこういった種類のベストと合わせて着るような服をまったく持っていませんでした。そしてベストだけを身に付ける、というわけにもいきません。しかし何よりもまず、私にはそのベストを放り出すことができませんでした。なぜなら、もうすでにそこにあったのですから。二番目に、それはあまりにも小さすぎました。この団体で私が一番小さいサイズなので誰にそれをあげたらよいのかもわかりません。おそらく最も「大きく」て、その上最も小さいのです。というわけで、そのベストは正に悩みの種のようなものになり、しばらくの間そのままになっていました。それから私は言いました。「OK。このベストに合う服を作ることができます。そうすれば着られます」。結果はこの通り。その服は今日みなさんの目をとても楽しませています。でも以前は、重荷だったのです。ですから私たちは、苦難を喜びに変えることができます。単に私一人にとって喜びになるのではなく、みなさん全員がそれを楽しめるのです。



甘露法語


スプリームマスター チンハイ フォルモサ・西湖(中国語)1991.10.26

  私たちは時に良いことをして、大変気分よく、自分が正しいことをしたと感じます。それは、その時私たちが神や仏菩薩の資質にとても近く、内面の愛の心が発揮されるためで、それで私たちは楽しく感じるのです。天国はそこにあるのであって、死んでから二つの翼が生えてきて、あちこちに飛んで行くのを待つのではありません。(笑い)



笑い話


神さまの文字合わせゲーム


スプリームマスター チンハイ アメリカ・フロリダ 2001.12.28(英語) ビデオテープNo.735

  寝室でお祈りをしている小さな女の子がいました。ちょうどそこを通りかかったおじいさんは、しばらくこの子のお祈りを聞いていました。けれども、聞こえてくるのはa,b,c,d,…というアルファベットだけです。繰り返し、繰り返し、アルファベットを唱えているので、おじいさんは尋ねました。「何をしているんだい?」すると女の子が答えました。「お祈りしてるの」「いったい何をお祈りしているのかね」「あのね、神さまにお祈りしようとしたんだけど、何て言ったらいいのか分からなかったの。だからアルファベットを全部聞かせてあげたの。そうすれば神さまが自分で組み合わせられるでしょ?」

 

ちょっとした勘違い


スプリームマスター チンハイ アメリカ・フロリダ 2001.12.28(英語) ビデオテープNo.735

A  ある母親が、若く見えるようになるという新しいブランドの化粧クリームを買い、念入りに顔に塗っていました。それを見ていた幼い息子が言いました。「ママ、何してるの?」「あのね、これをつけて、もっと若くてきれいになるのよ」それから一時間後、母親がティッシュでクリームを全部ふき取ると、息子が言いました。「どうしたの? もうあきらめちゃうの?」

 

病気なければ金もない


スプリームマスター チンハイ アメリカ・フロリダ 2001.12.28(英語) ビデオテープNo.735

  ある人が、以前かかった医者に通りでばったり会いました。互いに挨拶を交わした後で医者が言いました。「調子は良いですか?」 そこで彼は答えました。「はい、先生のおっしゃる通りでした。治してあげる、すぐまた歩けるようになるよっておっしゃいましたが、本当にその通りでした」「そうでしょう? それで、いつから歩いているんですか?」「先生への支払いをして、車を売らざるを得なくなってからです」



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