菜食をして道徳的に暮らせば、
私たちは病気になることを心配しなくなるでしょう。



 〜スプリームマスター チンハイ

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u甘露法語
  より理想的な暮らし方

u智慧の真珠
  自己防御システムをしっかりと使う最良の疫病対策 - - 観音法門 

uマスターの講義
  
時空の概念を超えた観音法門/如来のレベル(偏在)

u問答精選
  メディテーションを通してカルマを洗い流す/病気も警告のひとつ/大きな変化は向上の証
  菜食主義で災難を避け、身心を軽やかに


u菜食の時代
  内在する免疫力を活性化する/ 実際に私たちはより良い人生を送ることができる/
  菜食はあなたを健康にする


uマスターが話す物語
  神になるのも悪魔になるのも考え方次第

uマスターの言葉
  光と音のメディテーションが唯一のよりどころです

u笑い話
簡単にして/ 先延ばしになったもうけ/ 休暇中なのは誰?

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ニュースマガジン  144号
2003年7月20日 出版
1990年4月1日 創刊
発行所: The Supreme Master Ching Hai インターナショナルアソシエーション出版 会社
発行者: 謝 幸玲


スプリームマスター チンハイニュースマガジンは、中国語、英語、オウラック語(ベトナム語)、フランス語、ドイツ語、インドネシア語、ポルトガル語、韓国語、タイ語、スペイン語、日本語に翻訳されています。また、インターネットでダウンロードできます。「観音wwwサイト」のページをご覧ください。



甘露法語


より理想的な暮らし方


スプリームマスター チンハイ アメリカ・カリフォルニア・バークレー大学 1989.10.13 (英語)ビデオテープ No.101

  菜食をして道徳的に暮らせば、私たちは病気になることを心配しなくなるでしょう。



スプリームマスター チンハイ シンガポール共修会 1994.9.29 (英語)ビデオテープNo.446

もし、肯定的に考え、シンプルで健康的に暮らしているならば、みなさんは自分にとって最高の医者です。



智慧の真珠


自己防御システムをしっかりと使う


スプリームマスター チンハイ シンガポール共修会 1994.9.29 (英語)ビデオテープNo.446

  健康的でシンプルな暮らしをするべきです! みなさんは、シンプルであっても一段と優れた思想をもって暮らさなければなりません。いつも肯定的なことを思うのです。ただひたすら思うだけで、すぐにみなさんの生活スタイルと運勢は変わります。ですから、常に肯定的でいるように努めるのです。そうすれば、多くの不慮の災難や病気を避けられます。医師や看護師の様な仕事をしている場合や、あるいは、時にはソーシャルワーカーをしている場合も、いつも肯定的でいるのはたいへん難しいものです。人々が自分の病気や問題、とても否定的な考えや、意気消沈するようなマイナスのエネルギーを携えてやって来るからです。しかし、一般の人については、常に自分の肯定的エネルギーを保つことができると言えるでしょう。神が自分の身辺にずっといると想像すれば、あらゆる方角のマスターがずっと保護してくれるのです。これは真実です。ですから、みなさんはこの防御システムをできるだけ守り、故障させてはいけません。できるかぎり肯定的な行動、言葉、考えを実践して自分の防御システムを大切にしてください。とても簡単なことです。ただ考えを肯定的にするだけでも、自分にとって、とてつもない助けとなるのです。


最良の疫病対策――観音法門


スプリームマスター チンハイ フォルモサ・屏東 1988.11.02(中国語)ビデオテープNo.15

  この世界はすでに黄金時代へと入りました! 黄金時代には、霊性の高い人々が住み、そうでない人は、徐々に淘汰されて、いなくなっていきます。ですから、みなさんは今まで聞いたことのない病気が発生していくのをますます見ることになります。

  この事から、世界にもし疫病がなくても戦争があり、戦争がなくとも天災や事件、騒動などの災難が起きることがわかります。それらはすべて、私たちが道徳的でないことと関係があるのです。カルマが重すぎたり、集合的カルマが多すぎるのです。それで、仮にこの種のカルマによって一人か二人殺されてもカルマが解消できなければ、すぐに伝染病へと変化し、多くの人が消滅させられるのです。ですから、私たちの住むこの世界は当てになりません。いつも医療や薬が頼りになるわけではないし、それがあっても間に合わない時もあります。

  神はとても聡明で、私たちのかかる病気を、既知の種類のものだけにしてはくれません。別の病気を新しく作り出すので、私たちはいつまでも神の後を追わされます。私たちは、自分たちをとても文明的だと思い込んでいますが、因果の法の国王はさらに賢く、私たちを捕まえたければ捕まえます。私たちには、すばやく対応する術がないのです。熱を出せばたちまち命を落とすかもしれず、医者を呼んでも間に合わなかったり、医者も助けにならなかったりします。医者も同じ病気に感染して、倒れる可能性もあります。

  このような病人も、時間が来たり、因果が終わったりすればこの世を去るかもしれませんが、これでは保険なしに行くことになります。観音法門を修行していない人が突然この世を去れば、彼らを助けるのは間に合わないかもしれず、そうすると彼らの魂には頼る所がありません。私たちも遅かれ早かれ、みな死にますが、死ぬ時に、もし「万能保険会社」に加入していれば、そこに頼れます。(笑いと拍手)これが一番安全です! 本当に、観音法門を修めている私たちは安心です。たとえ何かの病気になっても、あわてたりしません。何も問題ないことを知っているからです。魂はとても平穏なようです。なぜそのように落ち着いていられるのか自分ではわからなくても、私たちの智慧、魂が知っているので、私たちにはすばらしいと感じられるのです!


 

マスターの講義

時空の概念を超えた観音法門

スプリームマスター チンハイ フォルモサ・屏東 1988.11.02(中国語)ビデオテープNo.15



      修行とは頭脳の修繕である

  印心すればすぐに解脱するとは言っても、みなさんにはまだ修行が必要です。なぜなら、もしみなさんの頭脳が、自分が聖人になることを許さないとしたら、とても難しくなるからです。頭脳は言うでしょう。「おまえが聖人だなんて、冗談はやめろよ!」あるいは、他の人もあなたに同じことを言うでしょう。自分に自信がなければ、役立たずの聖人にしかなれません。そんな聖人になったとしても、いったい何をするのでしょう。私たちは、やはり高い境界(きょうがい)にふさわしい振る舞いをしなければなりません。十分に訓練をせず、一生懸命努力しなかったならば、頭脳は私たちに感服せずに、私たちが騙しているのだと思い、向上させてくれません。自分で自分を妨害してしまうのです。ですからまだ修行が必要なのです。私たちの頭脳をきれいに洗ってしまうのです。私たちがもう以前とは違い、今や本当に聖人の位にふさわしいということを理解させてこそ、頭脳は納得して、喜んで受け入れ、問題がなくなるのです。

  修行とは、この頭脳の修繕過程にあるということです。生まれ変わりごとの、それぞれの人生すべての莫大な悪い事を頭脳は記録しており、私たちを罪悪感から解放させてくれません。だからこそ、私たちは頭脳に修練させる必要があるのです。毎日光で照らしてやり、教え諭し、私たちの全細胞を照り輝かせるのです。私たちの体中、どの細胞もみな、すべての人生の善と悪を記憶しています。カルマもまたそうです。ですから、人を一目見たり体を見たりすれば、すぐに相手が前世で何をしてきたか、あるいは今生で何をしているのかがわかる人がいるのです。これは、私たちのどの細胞や振動も、私たちの一挙一動、考え、さらに欲望までも、すべてはっきりと記憶しているからで、誰も騙すことはできないのです。

  ですから、死後に閻魔大王の所へ行くと、そこには一枚の鏡があって私たちの一生すべての生活が、テレビを見るのと同じようにはっきりと、しかしとても早く、簡単に見られると言われていますが、これは間違いのない確かな事で、私たち自身の録画機能なのです。それで、修行した人は誰が誰なのか、前世で何をしてきたか、今は何をしているのか、何をしに来たのかを見てとれるのです。こういった個人のカルマは、すべて自分の肉体と頭脳に書かれたり、私たちの雰囲気となったりします。人は修行しているかどうかにかかわらず、それぞれそのようなオーラを持っているのですが、修行すればするほど、そういうオーラはなくなっていきます。

         いつもマスターを忘れずにいれば、保護力が備わる

現在、私たちは外へ出て一般社会の人々と付き合えば必ずカルマの雰囲気に触れることになります。私たちは修行すればするほど敏感になっていきます。みなさんは修行すれば保護の力が――そう思う必要はありませんが――強まります。しかし、敏感さも幾百、幾千、幾万倍も増していきます。みなさんは、イエス・キリストが十字架にかけられて釘を打たれた時に痛くなかったと思いますか? とても痛かったのです! 他の人が感じるよりずっと痛かったのです。なぜなら、彼の体はすでに普通の人とは違っていて、すべての細胞が完全に変わり、非常に敏感になっていたからです。そういう人がこの世界にいるのはとても危険で、本当に気の毒で、大変ひどい目に遭うばかりか、何の助けもないのです。
私たちが良い事をしようと悪い事をしようと、それらはみな自分の体にくっついて、はっきりと記録されています。私たちが修行者かそうでないかは、その秘法を知りさえすれば、調べることができるようになります。ですから、私たちが外に出て行って世の中の人と付き合えば、彼らの雰囲気に汚染されたり、彼らには不要で役に立たない私たちの福報が、彼らの元へ飛んで行ってしまうのを免れないこともあります。ちょうど、一方は高い所にあり、もう一方は低い所にある二本の水道管か、二個のバケツのようなものです。水は必ず高い所から低い所へ落ちるのです。ですから自分を守りたいと思うなら、水道の栓を閉めておかねばなりません。絶えず聖名を唱えるのです。それ以外に方法はありません。
時には水漏れすることもありますが、それはみなさんが、私がそばにいることを忘れているからです。しかし、みなさんが助けを求めればすぐに反応があります。仮にみなさんの不注意であっても、当然私は助けます。しかし、自ら進んで悪事を働こうと、悪いと知りながら故意にしたうえ、私に介入させない場合はもちろん助けません。そんな時には私のせいにしてはいけません。みなさんは沈み続けることになります。ですから、私を忘れてしまうのは大丈夫ですが、私を拒絶してはいけません。自分はすごい、どんな問題でも自分で解決できる、などと思わないでください。いいえ! いいえ! いいえ! この世界は楽しく遊ぶ所ではありません。「仏は一尺、魔は一丈」この言葉の意味は、両者にはほとんど違いがない、ということです。どちらも宇宙のパワーであり、誰でも使うことができます。しかし、その力のどの部分を利用するかによるのです。だからこそ、魔の力も非常に強いのであり、私たちが遊んだり、何か楽しんだりすることではないのです。私たちは、その方面ではみだりに遊ぶことはできないのです。



如来のレベル (遍在)

スプリームマスター チンハイ フォルモサ・西湖 1991.08.11(中国語) ビデオテープ No.187b


 私たちは不意の災難やカルマによる障害に遭遇すると、突然の事にショックを受け、釈然としない思いをします。それで、みなさんは出家した人たちから、「マスターはいつも急な用事を言いつける」と聞くことがあるのです。不意打ちも良いものですよ。カルマも突然やって来るものです。違いますか? 私たちはどんな時にもすぐに反応できるよう自らを訓練する必要  があります。そうしてこそ自分を守れるし、ある種の振動エネルギーに慣れて、後にマスターとなった時に素早く天国に上がったり、地獄へ降りたりできるのです。もしもその時、まだ今地獄に行くべきか天国に行くべきかと考えていたのでは、全く駄目なのです。

  私たちは反応が早くなればなるほど、ますます至る所に存在できるようになります。それは、往来しているような感じではなくて、むしろ、まるで行き来していないように見えます。なぜなら、あまりにも速いからです。この世界の時間と空間の概念を越えているのです。この時、私たちは空間を折りたたんでいます。ここがあそこに変わっているのです。これは、アリが紙の一辺から反対側の一辺に行くようなもので、ただ紙を折りたたみさえすれば、アリは一飛びして終わりです。空間もやはりこれと同じで、やり方が異なるだけです。武術を学ぶ時もこのようなものです。どんなものを学ぶにも、秘訣があります。勤勉でありさえすれば良いというものではありません。

  同じ理屈で、聖人には聖人のやり方があります。彼らが事を処理するのはとても早く、しかも不動のままです。それで、「如来」(来る如し)と呼び表したりするのです。(それで「遍在する」存在と崇拝されるのです)まるで動いていないようなのです。動かないけれども何でもできます。どこにでも行かれるし、いかなる所にも存在します。どこかに歩いて行くことさえしなくてよいのです。そうなって初めて、真の神通力、本当に最高の修行レベルと言えるのです。何の努力もいらないのです! それで、みなさんは時々「マスターの化身があっちに現れた、こっちに現れた、あれをした、これをした、あるいは、ここで救った、とかあそこで救った」と言うのです。けれども私はどこにも行っていませんし、何もしていません、身振り手振りすらしていません。みなさんは、全く動いていない私を見ることができるのです! そこにいる出家した方たち、あなたたちは、私が何かの呪文を唱えたり、手振りをしたりするのを見たことがありますか? ありませんね。もしかしたら、その時私は寝ていたか、琴を弾いていたか、一局打っていたか、詩を朗読していたか、歌を歌っていたか、それともちょうど草を植えていたか、誰かを叱っていたところかもしれません。何をしていたとしてもかまいませんが、努力する必要などないのです。 

  修行仲間に太極拳の達人がいますが、彼と同じです。彼は力を使う必要がありません。しかし、人が彼にぶつかると、その人は倒れてしまいます。人が彼にぶつかるのですよ。彼が人にぶつかるのではありません。不注意で彼にぶつかっても自分から倒れてしまうのです。例えて言うなら、こういう事です。力を入れて激しく蹴飛ばしたりしてちょっと粗野に見えるのとは違い、手を動かす必要もないほど深いレベルまで武術の修練を積んだ人もいるのです。こういう人は、自分より力の強い人と出くわしても、すぐ捕まえて倒すことができるのです。こういった、力を使わない技だからこそ相手は倒せないわけで、「柔よく剛を制す」とは、まさにこの事なのです。この宇宙はすべて柔が剛を制しており、力が弱いほど、姿や形が見えないほど、また、しなやかであるほど、より強くなるのです。

  ですから、ご覧なさい、空気が私たちにとってどれほど重要かを。そして、水はそのしずくで石に穴を開けることができ、滴り落ちれば落ちるほど、ますます穴を深くしていきます。また、「気」は肉体ばかりか全宇宙のすべてさえ維持させています。無形の気は観音の振動でもあり、さらに不思議なことに、この観音より優れたものは何もないのです。なぜなら、それは宇宙の母だからです。それが万物を生み出したのです。私たちがそれを手にすれば、どんな宇宙の秘法も、みな私たちの手の中です。それは、母親を捕まえれば子供も捕まえられるからで、家族全員がどこにいるかわかるのです。簡単な理屈です。まるで昔の戦争のようです。もし大将が打ち負かされたら、軍隊は頭を失った蛇と同じでたちまち散り散りになり、簡単に負けてしまうのです。

  同様に、どのような教典を研究しても、その中ではすべて宇宙の振動、音に言及していますが、これこそが「道(Tao)」であり、原初のパワーなのです。ですから、私たちがそれを自身のものにすれば、あらゆるものを手にした事になるのです。もし別のものだったなら、たとえば超能力や聡明さなどであれば、ただほんの一部を手にしただけです。片隅をちょっと手にしただけで、頭を捕まえたのではありません。人でも何でも頭を抑えてしまえば終わりです。そうでしょう? ですから、観音法門が最も良く、最も本来の形で、最も早く、最高と言えるのです。これより良いものはありません。これは真実です。もう一度どんな研究をしても、こういう結論になるでしょう。ですから、私もこの法門を得られ、みなさんも一緒に得られてとてもうれしいのです。本当に、とても幸運ですね!


問答精選

メディテーションを通してカルマを洗い流す


スプリームマスター チンハイ アメリカ・コロラド 1993.4.10.(英語)ビデオテープNo.350

Q: 苦痛や病気は現在のカルマの結果ですか? もしそうなら、どうすればそれをきれいにできますか?


M:
私たちはそういう状況に耐えることで、カルマを浄化できるのです。なぜならカルマの歯車を逆行させるにはもう遅すぎるからです。しかし、悟りを開くことによって、あるいは印心を受けたり、師の導きを通して完全な父なる神について毎日メディテーションすることによってカルマを最小限にしたり、スムーズにしたりすることはできます。そうすることで、良くない状況を最小限度に抑えられるのです。

 

病気も警告のひとつ


スプリームマスター チンハイ アメリカ・ワシントンDC ジョージタウン大学 1993. 4.14.(英語)ビデオテープNo.352

Q: マラリアやエイズなどの疫病が起こる理由は何ですか? このような病気の治療法を見つけようとすると、自然の摂理に反することになるのでしょうか?


M:
もし、ある病気の治療方法を見つけても、また新しい病気が出てきます。唯一、人類が内なる神、私たちに内在する全能の力にすべてをゆだねるべきであることに気づき、そこだけに万病を治す力があり、その力だけに頼るべきだと気づいた時、あらゆる病気はなくなります。これらはすべて、私たちが神のもとに戻るべきであると告げる警告なのです。

 

大きな変化は、向上の証


スプリームマスター チンハイ スコットランド・エジンバラ 1999.6.5.(英語)ビデオテープNo.648

Q: 私たちの時代に変化が起こっていると思いますか? 特に1985年から2010年にかけて、より大きな地球規模の変化があるようですが。


M: はい。これはある種の向上です。莫大な霊的エネルギーがひとつの時代に集まり、あるいは凝縮した時、通常よりも性急に変化が起こります。特に、地球がより混乱したり、天災や動乱、戦争、大惨事がより多く発生したりすると、神の恩恵はより緊急性を帯びたものとなります。というのは、このように困った時にこそ、より多くの人々が神の恩恵を求めて祈るからです。多くの人が誠心誠意祈れば祈るほど、より多くの神の恩恵がこの惑星に降り注がれるのです。

 

菜食主義で災難を避け、心身を軽やかに


スプリームマスター チンハイ アメリカ・ニューヨーク コロンビア大学 1989.11.4.(英語)ビデオNo.102b

Q: 人類共通のカルマについてもっと教えていただきたいのですが、人々は過去の罪のために苦しまなければならないのでしょうか?


M: 罪を犯していない人など一人もいません。私は誰も非難していません。すべて学習の過程なのです。学ぶことはとても苦しいものですが、いったん目覚めれば、違った角度からものごとを捉えるようになり、すべてが学習であることがわかります。

  この肉体を100年維持させるために私たちが毎日行っている大量殺戮をご覧なさい。どれほどの命が犠牲になってきたことでしょう。たくさんの魚、エビ、鶏、豚、牛など。あなたはこのエネルギーが、戦争や災難や病気として現れずに消えてなくなると思いますか? 私たちの行いのすべては、大気中に記録されます。なくなるものは一つもありません。別のエネルギーで薄まるだけです。別の現象に取って代わるだけで、決してなくなりはしないのです。たとえば水蒸気が水になり、氷に形を変えている時、それを消してしまいたいと思って太陽光線や電灯の光をあてるか火で暖めるかすると、再び気体の状態に戻るでしょう。ですから、もし私たちがこれからもずっと日常的に大量殺戮を行うならば動物たちは苦しみ、そして動物たちも意識や想念や憎しみのエネルギーを持っているので、このような憎しみや恐怖の意識は凝集し、強いエネルギーとなって大気中を漂うのです。それがあまりにも大きくなりすぎると、共通のカルマという結果になるわけです。

  私たちは、この物質世界で使用したすべてのものに対して代償を支払わねばなりません。それゆえ、あらゆるマスターが菜食をするように強調するのです。菜食は、さまざまな種類の生命に対して最小限の犠牲ですみます。動物にも命があります。植物にもあります。しかし植物の命は最小限の犠牲ですみます。たとえば、100ドルしか稼がないのに200ドル使いたいとしたら、当然借金をしなければならず、困ったことになります。もし、なるべく安いものを購入し、最低の費用で満足する生活を送っていれば、借金の心配をする必要などありません。それで、私たちは菜食を選択しているのです。フルーツやナッツ、牛乳、チーズなどは比較的罪が軽いのです。これらはわりあいに低い意識を持っているからです。牛乳をしぼったら、牛はそれで命を落とすでしょうか? 少しばかりのナッツを木から採ったとしても、まだその木には数千ものナッツの木を生やすのに十分なほど、たくさん実がついています。なくなってしまうことはありません。花や野菜の枝を切ったとしても、切ったところからよりたくさんの枝が出てきて、さらにたくさんの野菜が育ちします。このことから、菜食は害が少なく、支払う代価がより少ないということがわかると思います。



菜食の時代

内在する免疫力を活性化する


スプリームマスター チンハイ アメリカ・カルフォルニア・バークレイ大学 1989.10.13. (英語)ビデオテープNo. 101


  ご存じのように、ほとんどの病気は肉食が原因で起こります。動物には抗生物質が投与されていますし、動物が不安がると、その肉の中に毒を作り出すからです。肉食することによって、動物に投与されているこれらの抗生物質を摂取すると、私たちの身体は病気に対する免疫力を失っていきます。通常ならば私たちの身体は病気と闘うことができます。しかし、抗生物質漬けの動物の肉を沢山食べると、私たちの身体は弱くなり、免疫システムの調子が狂ってしまいます。このようにして私たちはいろいろな種類の病気に罹り、そのせいで命を落としてしまうのです。残念なことです。

  現在ほとんどの人が、イエスやブッタに祈ればもうそれで充分と考えていますが、私はそれに加えてメディテーションをし、道徳的で健全な生活を送るべきだと考えています。そうすれば、より早く私たちの智慧が発展し、解脱が達成できるのです。例えば、私たちの法門を一緒に修行すれば、これを観音法門と呼んでいますが、つまりただ内なる神の教えを聴き、天眼で神の智慧を観、菜食を続け、道徳的な生活を営めば、私たちはどんな病気も恐れなくなります。修行仲間の多くは一晩で病を克服しました。それも重症のもので、普通は手術を必要としたり、死に到るような病気です。ある人々は死の床から生還しました。道徳的な生活や、彼らを守る神の智慧のパワーのお陰です。

  もし、正しい方法を通して内在するこのパワーを開発すれば、私たちが仏性、内在の仏、内なる神と呼んでいるそのパワーが、一日24時間ずっと魂が肉体を離れた後ですら、私たちを保護してくれるでしょう。




実際に私たちはより良い人生を送ることができる

スプリームマスター チンハイ シンガポール共修 1994.9.29.(英語)ビデオテープNo. 446


  ご近年、様々な病気のために、毎年約1800万人もの人々が亡くなっています。というのは私たちの中のある人々が、自分たちの貴重な肉体、それは、ある目的のために地球上で使命を果たし、そしてまた自身の全能のパワーを認識するために神から与えられたものですが、その肉体を守るための予防策を取らないからなのです。私たちはタバコを吸い過ぎたり、お酒を飲み過ぎたり、肉をたくさん食べて、その中にある細菌を体の中に取り入れたり、そういったことをするのです。このような死をまねく要因は、すべて人生を悲惨なものにします。

  もし、私たちがもっと生活を整え、肉体をもっと大切にすれば、実際、より良い人生が送れるはずです。ただおいしいからとか、適当な量だから食べる、というのでなく、身体にとって栄養のあるものだけを食べるようにすれば、もちろんそれほどひどく健康を損なうことはありません。ご存じのように、ほとんどの菜食主義者はより健康になっています。そうではないですか?(聴衆:そうです)みなさんの多くは、印心を受け、菜食に切り替えた後、より健康になりました。違いますか?(聴衆:そうです)実際、病院は肉食の人々でいっぱいです。(笑い)問題ありません。私たちは、そこで証拠を見ることができるのです。

  それは、菜食それ自体が健康的であるから、というだけではなく、その振動力が私たちの肉体にとても調和しているからなのです。一方、動物の振動力は、それほど調和の取れたものではなく、平穏なものでもありません。簡素で健康な生活をすることは、実はとても簡単です。薬や注射をそれほど必要としません。私たちの多くは自分自身を傷つけていますが、それは毒物を身体に取り込んでいるからなのです。もしそうでなければ、私たちがどのようにすれば簡素で、栄養があり、健康的な生活を送れるのかを知っているならば、私たちは本当にそれほどたくさんの医者を必要としないのです。そして医者はもっと休みを取ることができ、医者も私たちも、両方が健康でいられるのです。


菜食はあなたを健康にする

スプリームマスター チンハイ アメリカ・コロラド・ボルダー 1991.3.9.(英語)ビデオテープ No. 159


  今なお、いわゆる医者と呼ばれる人々の中には、人間は生存のために肉食が必要だという古い学説にこだわる人がいます。しかし、他の科学的な研究をしている多くの書籍がありますし、他の多くの医者たちが、肉のタンパク質は、有害かつ有毒であり人間の身体にとって良くないと言っています。そして彼らはそれを千も証明してきていますが、それでも全体からすると1%なのです。ですから、一つの学説だけを聞いて、それを信じないでください。私たちは肉食を全く必要としていません。誰一人として必要としていないのです。実際たくさんの人々は、菜食を始めてから病気が治りました。他の学説に耳を傾けるかわりに、その事実を聴いている方が、みなさんを充分に勇気づけるでしょう。私たちは、ある一つの学説だけを信じ、納得させられるように催眠術をかけられているのかもしれません。そうして肉食は不可欠であると信じているのです。しかし、それは真実ではありません。



マスターが話す物語

神になるのも悪魔になるのも考え方次第



スプリームマスター チンハイ タイ・バンコク 1996.6.13. (英語) ビデオテープNo.553

  「コレラの精霊」という物語があります。ある日「コレラの精霊」は修行者の横を通った時に言いました。「やあ! これからボクは中国に行くつもりだよ」。修行者は答えました。「えっ! 君はまた騒動を起こすつもりなんだね!」コレラはただにこりと笑って、風に乗って中国へ飛んで行きました。

  それから一ヵ月後、コレラは中国から戻ってきました。そして、また修行者の横を通り過ぎながら言いました。「やあ!ただいま」。その人(多分観音法門の修行者)は言いました。「ああ、それで君は一ヶ月で5万人殺して来たんだね?」コレラは答えました。「いやいや、ボクが殺したのは25,000人だけだよ。あとの25,000人はただ怖がって死んだんだ。ボクはその人たちに触れてもいなかったのに」

  時々、現実は私たちが想像するほどひどくないことがあります。そういう事態に直面しても、それほど悪くはなりません。私たちがひどくおびえたり、怖がったり、逃げたりすれば、ただそれに直面しているより多くの問題を引き起こすことになるのです。

  私たちはすでに仏陀から聞いています。「私は仏陀です。あなたはそのうち仏陀になります。みんな平等です」。では、どこが違うのでしょう。なぜ私たちは今、仏陀ではないのでしょう。それはただ単に、私たちは仏陀のように考えず、仏陀のように行動せず、仏陀のように暮らしていないからです。

  仏陀はメディテーションし、いかなる所有物にも執着しませんでした。他の人は仏陀に食器として黄金の茶碗をあげ、服に綺麗なシルクをあげたかもしれません。しかし仮に仏陀がそれを受け取って着たとしても、それに執着することは決してありませんでした。彼はいつも自分の人生と時間を犠牲にして、人に教えを説きました。崇高で理想的な、人間の仏陀としての手本を示すことを人々に思い起こさせるために、自分の時間を費やしました。そして、常に彼の心や考えは、いつも仏陀に、あるいは人類や宇宙における最高の理想、もっとも高貴な目標に向けられていました。彼は決して他の余計なことを考えませんでしたし、何も恐れませんでした。ですからマーヤ、いわゆる否定的な力は、彼のところに来て礼拝をしたのです。けれども、私たちはここに座って否定的な力であるマーヤに礼拝します。ここが違うところです。恐怖心は私たちに多くの問題をもたらし、私たちの尊厳をおとしめるのです。ですから私たちは違う生き方を選ばなければなりません。
  もし、みなさんがこのような否定的なことを考えなければ、それらは存在しないのです。私が、悪い映画を見ないでくださいと言ったのはそのためです。悪魔の映画やメディアを見ないでください。そうでなければ、みなさんはそれを信じて、「ああ、悪魔が彼の中にいる」と信じて家に帰り、「ああ、悪魔が私に着いてきたかもしれない。悪魔は私のことを格好いいと思っているかもしれない」と考えます。物事はこのようにして私たちにも影響するのです。

  しかし、それは気のせいであり、本当のことではありません。時に恐れや執着といったものは、私たちが多くの物事をするのを阻止することがあります。それらに対して、もし私たちが恐怖心を感じなければ、あるいは快適で楽な生き方に執着しなければ、もともと出来ていたはずのことや、出来るようになったはずのものなのです。ですから、いつも仏陀に集中するよう努め、悪魔には集中しないでください。


マスターの言葉

光と音のメディテーションが唯一のよりどころとなる



スプリームマスター チンハイ ライジングセンター・カンボジア 1996.7.30(英語)

  この世のあらゆる状況において、内在の光と音だけが私たちを救ってくれます。カルマ、つまり過去、現在、未来のどんな重荷を処理する時でも、この世で頼れるものは他にありません。光と音だけが唯一の方法で、この世に来る時に、神さまが私たちに与えてくれた唯一の装備なのです。それで私たちは自分自身を守り、神の王国を思い出すことができ、神の国を見つける道の途中で起こる、さまざまな困難や障害を解決していくことができるのです。この世のさまざまな問題 ― 仕事や家族間や恋人関係など ― は、ただみなさんを煩わし、神の国に帰る道からみなさんを遠ざけるだけです。神はあらかじめ分かっていたので、この装備「光と音」を私たちに授けました。それらの問題をすべて粉砕して先へ進むことができます。光と音なしには家へ帰ることはできません。決して、永遠にできないのです。たとえば飛行機がなければ、みなさんはここ、カンボジアにこんなにすぐに、簡単に来ることが出来ないのと同じです。

  みなさん自身やみなさんの愛する人、さまざまな仕事や商売、その他あらゆる事において、もしみなさんを悩ませることが起きてしまったら、ただ座ってメディテーションをしてください。問題がより明らかになり、みなさんはどのように解決すれば良いかがわかります。あるいはその問題はやがて自然に消滅していきます。私たちは時には狼狽してしまいますが、本当にこの世界では、ある種の事柄、またはある種の時期や要求が重くのしかかってくるように思われるからです。私たちはパニックに陥り、こう言います。「なんてことだ! できるわけないじゃないか。1日しか、いや半日しかないのに。別に他のことがしたいわけじゃない。すぐにやりたいのに、たくさんの他の要求がどんどん来てしまう」。けれども、しばらくメディテーションした後、この世は私たちへの要求を取り下げるか、問題が別のところへ行ってしまい、何でもないことに対して自分がパニックになっていたことがわかります。ただ、冷静にしていることです。冷静に。(笑い)冷静さを保つのですよ、ねっ。(マスターと聴衆笑う)そうすればすべての事はうまくいきます。

  自分の直感に耳を傾けましょう。それは、時には難しいことですが、どの直感の声が一番大きいかを見極め、そのもっとも強い直感に従い、揺るがないようにしなければなりません。みなさんは時々、これをすべきだ、この仕事を続けるべきだと思いますが、他の人が来て、他の仕事をするように要求したり、別の人が来てこの方が良い、それはもう役に立たないと言ったり、「もうすぐ役に立たなくなるから、早く別の方に行ったほうがいい、こうした方がいい、ああした方がいい」と言います。けれどもみなさんの内面では、これをすべきだと感じているために、みなさんは葛藤してしまい、ばらばらに引き裂かれたように感じるのです。そういう時は座ってメディテーションをし、内在の仏の声、直感の声、静かなる声に耳を傾ける必要があります。その声はあなたに何をすべきか教えてくれるでしょう。少なくとも冷静になることで、どれが自分に一番良いかがはっきりわかるでしょう。

  これはすべて私の体験です。本からの受け売りでお話しているわけではありません。本ではこのような事は教えてくれません。たとえあったとしても、それほどたくさんはないでしょう。この様にすれば、いつでもうまくいきます。他にどこへ行き、どんな方法で、このような世界とうまくやっていけるというのでしょう。この世にはこんなにも耐えがたい苦しみや、無意味なこと、重圧があり、時に私たちは何をしたらいいのか本当にわからなくなってしまいます。そして、それが私たちを非常に不安にし、とても落ち着かない状態にするのです。光と音のメディテーションは、そのような困った時にできる唯一の方法なのです。



笑い話

簡単にして!



スプリームマスター チンハイ フロリダ 1999.10.1.(英語)

先生が生徒に尋ねました。「チャールズ、どうしてなかなかつづりを覚えられないの?」チャールズは、答えました。「それは先生がいつも文字を変えてしまうからです」


先延ばしになったもうけ



スプリームマスター チンハイ フロリダ 1999.10.6.(英語)

ある男がテキサスでバイクを運転中に、誤って若い牛をはねて死なせてしまいました。男は牛の飼い主の農夫の所へ行き、弁償しようと次のように言いました。「これは単なる事故ですが、私はこの牛に見合う額をいくらでもお支払いしましょう」。農夫は言いました。「この牛は現在100ドルの価値があります。しかし6年後、800ドルの価値になるでしょう。ですから、私は800ドル欲しいのですが、よろしいですか?」運転手は800ドルの小切手を書いて農夫に渡し、こう言いました。「ここに800ドルあります。決済の日付は6年後にしておきました」



休暇中なのは誰?



スプリームマスター チンハイ フロリダ 1999.10.6.(英語)


ある男が二人の友達と一緒に駅に向って歩いていました。電車が遅れていたので、3人は座ってコーヒーを飲みました。それからアルコールも飲み始めました。しばらくすると、彼らは電車のことをすっかり忘れてしまい、酒を飲んでは話し、話しては飲んでいました。けれども、電車の最終案内を聞いて3人は立ち上がり、走り出しました。二人の友達の間にいた男は、ひどく酔っていたので少し遅れをとってしまい、追いつけませんでした。他の2人はなんとか電車の最後尾に追いついて、電車とともに行ってしまいました。男はそこに立ち止まり、笑い続けていました。周りにいた人は彼を見て言いました。「何がそんなにおかしいのですか? あなたは電車に乗り遅れたのでしょう?」「ええ、そうですよ。確かに電車に乗り遅れました。でも、私は二人の友達のことを笑っていたんです。だって、彼らはただ、私を見送りに来てくれただけなんですから」






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