まずメディテーションをすれば、すべてのことは後から
ついてき
ます。成果がないのを心配するのはなく、十分に
    メディテ
ーションできているかどうかを心してださい。              

〜スプリームマスター チンハイ

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イベントパノラマ
  日本からの報道

魂の高揚
  スプリームマスターチンハイ 最新DVD

笑い話
  陪審員の秘密/新婦の驚き/つまらない者になる前に大物になれ!


最高の芸術
  天国からの妙なるインスピレーション -- セレスチャル・ジュエリーに隠された真の意味


甘露法語

問答精選
  メディテーションで修行の道を照らす/霊的な動機はすべての行為の支えとなるべき

智慧の真珠
  墓は死者の家ではない

話の宝箱
  馬おじさんの物語


マスターが話す物語
  宇宙における償いの法則

観音WWWサイト

私たちへの連絡法

世界各国連絡先




ニュースマガジン  147号
2003年12月 10日 出版
1990年4月1日 創刊
発行所: The Supreme Master Ching Hai インターナショナルアソシエーション出版 会社
発行者: 謝 幸玲


スプリームマスター チンハイニュースマガジンは、中国語、英語、オウラック語(ベトナム語)、フランス語、ドイツ語、インドネシア語、ポルトガル語、韓国語、タイ語、スペイン語、日本語に翻訳されています。また、インターネットでダウンロードできます。「観音wwwサイト」のページをご覧ください。

 



イベントパノラマ

 


日本からの報道 

菜食パーティーでおいしく楽しく

[東京発]9月21日、東京センターでは共修会後に、方便法を実践している方や、菜食に興味のある方、観音法門に興味のある方などを招き、修行仲間が提供した料理による菜食パーティーが催されました。

  当日は激しい雨の一日でしたが、それにもかかわらず、たくさんのゲストが集まってくださいました。パーティーでは2卓の大きなテーブルに、いろいろな種類の季節感に満ちた日本料理、中国料理、ベトナム料理が用意され、国際色豊かな菜食料理を堪能できました。

  修行仲間たちは、方便法を学ぶ方たちとゆっくりと食事を楽しみながら修行による収穫を語り、自然に、気軽に修行上の悩みや菜食についての質問、疑問などを聞くこともできました。また、遠方からいらした方便法を学ぶ仏教の僧侶は、マスターの教えを理解してから印心を強く希望し、真理を広める手助けをしていきたいと話しました。同修と参加した方々との間には、宗教観や健康的な菜食についてなど、互いの意見交換がなされました。このほか、東洋医学の医師である修行仲間からは、「東洋医学から見た菜食の重要性」と題したすばらしい講義もされました。こうして、リラックスした楽しい雰囲気の中で、充実したすてきなパーティーをそれぞれが楽しみました。

 



仕事を通しての学びと成長

[東京発]2003年10月6日から29日にかけて、日本の修行仲間は東京の中心地にあるレストランでスプリームマスター チンハイの絵画展を開催しました。同月11日にはレストラン内にある会議室においてマスターの公演ビデオ映写会もあわせて行いました。

  映写会当日のゲストの数は予想を超えたもので、会場内に準備した座席はすぐにいっぱいになりました。映写会では、まずマスターを簡単に紹介したビデオ、続いて、国連におけるマスターの公演ビデオが放映されました。その後、画家の修行仲間が、芸術と霊修における収穫についての考えを述べました。

  マスターの教えについての基本的理解を得ると、メディテーションに興味を持った人々が次々に方便法を学ぶ申込書に登録をしました。

  今回の活動の計画段階から成功裏の終了までを通して、修行仲間たちは団結精神を充分に発揮して心を一つにして力を合わせ、さまざまな仕事を遂行するよう努めました。みな、マスターによる段取りと加持に深く感謝し、この貴重な経験から学んだことを今後の生活や仕事に生かしていくことでしょう。

 



魂の高揚

            スプリームマスター チンハイ 最新DVD

                #638<英語+24ヶ国語の字幕つき>

              最高の自分を引き出す

                 アメリカ フロリダセンター共修 1998.10.4

マスターはこのDVDの中で、霊的修行と日々の生活両面にわたる広範囲な話題について述べています。たとえば独身生活について、次のように話しています。「独身でいられることは、また恩恵でもあるのです」と。なぜそうなのでしょうか? また、後に続く質問にも答えています。災害の犠牲者たちや貧困者たちへの世界的な救済を行う中で、与えられたさまざまな状況下で、どのようにしてマスターは救援のやり方を決めるのでしょうか? 私たちの生計は仕事をすることで成り立っていますが、その仕事は私たちの肉体と精神の両方をへとへとに疲れさせ、そして私たちの霊的進歩さえも害するのです。私たちが取るべき態度はどのようなものでしょうか? 女性がもっと容易に聖者の地位にたどり着けるような助けとなる素晴らしい性質とは何でしょうか? マスターが、また婚姻関係や社会における協力関係についても、素晴らしい講義をしています。このDVDは、すべての修行仲間と一般の人々両者にとって、より魅力的なものになっています。



笑い話

 

陪審員の秘密

スプリームマスター チンハイ アメリカ・フロリダ 2001.6.11(英語)

陪審員に選ばれた男が、その義務を果たすために自分の職場を長期間離れるのはいやだと裁判官に言いました。すると裁判官がこう言いました。「職場の人たちはあなたがいなければ仕事にならないのですか?」陪審員は答えました。「いいえ。でも彼らにそのことを知られたくないのです!」

 


新婦の驚き

スプリームマスター チンハイ アメリカ・フロリダ 2001.6.13(英語)ビデオテープNo.724

知り合ったばかりのカップルがいました。女性は、相手の家族に紹介された時に男性の両親が愛し合っていることに、とてもとても感動しました。女性は話し続けました。「まあ! ご両親はなんて思いやりがあるのでしょう! それに、あなたのお父様は、お母様のために毎朝ベッドにコーヒーを運んでさえいたわ」彼女はそれが非常に気に入ったのです。
 そしてしばらく後、そのカップルは婚約し、やがて結婚することになりました。結婚式に向かう途中で、女性は、男性の両親がどれほど愛し合っているか、父親がいかに毎朝妻のためにコーヒーをベッドまで運んでいるかについて、感想を繰り返し話しました。彼女は何度も何度も繰り返してから、言いました。「あなたの家系では、あの伝統はずっと受け継がれるのかしら?」男性が答えて言いました。「うん、そうだよ! ぼくたちの家庭にも受け継がれるよ、大丈夫さ。ただし、母の方を受け継ぐのは、ぼくだからね!」



最高の芸術

天国からの妙なるインスピレーション
--セレスチャル・ジュエリーに隠された真の意味
 


パリ国際ジュエリー展における
Bijorcha TVによるスプリームマスター チンハイへの特別インタビュー


1997.1.24(フランス語、英語) ビデオテープNo.629

 


スプリームマスター チンハイのインスピレーションに乗って
天国の宝飾が地上に舞い降りた
世の人々を驚嘆させるため
匠たちの巧みな手を通して。
珠玉のような潤い、壮麗な輝き
目を眩ませる、宝石をちりばめたゴールドとダイヤモンド
それぞれに秘められた特別な意味が、強く心を揺り動かす。
宇宙の深遠な智慧を伝えるスプリームマスター チンハイのデザインは
人々の魂と生命力を目覚めさせる


記者:Bijorchaテレビです。今日はまず、たいへん貴重なインタビューから進めて行きましょう。スプリームマスター チンハイにインタビューします。ようこそ、スプリームマスター。
マスター(以下Mとする):ありがとうございます。

記者:始めに、あなたがデザインされたジュエリーと霊修との関係についてお話しいただけますか。
:はい。真・善・美はあらゆる宗教の象徴です。ですから、もしある人が美しい物を創造したならば、それは天国の美を表しているわけです。私は、それらは私たちに修行を喚起してもいるのだと考えています。

記者:あなたがデザインしたそれぞれのジュエリーには、すべて意味があるのですか?
:そうです。

記者:みなさんに、あなたの作品をいくつか紹介していただけますか。
:はい。例えば、このセットは「SM」のロゴタイプを採り入れて作ったものです。私たちのロゴなのです。

記者:どうしてこのロゴを選ばれたのですか?
:「SM」はスプリームマスター(Supreme Master)を意味し、それは私たちがスプリームマスターであることを喚起してくれます。ちょうど聖書に「神、聖霊はあなたの内に住み、あなたこそ神の宮殿なのです」と書かれているように。(記者が手にした別のジュエリーを説明して)それは新しいデザインで、「双子のハート」と言います。二人の人間が心・身・霊すべての面において理解し合えた時、彼らは一体となります。同じように、私たちが究極の悟りに到達した時は、神と一体になるのです。

記者:すると、今私が手にしているこれは、愛を伝えるためのプレゼントとしてもよいですね。そうでしょう?
:そうです。結婚式にも使えますね。

記者:私もそう思って申し上げたのです。本当にとてもすてきです。材質は何でしょうか。ゴールドですか?
:純金とダイヤモンドでできています。私たちが製作するジュエリーはすべて宝石と本物の金、普通は純度が22K〜24Kのものを使用しています。本物でなければ使いません。メッキではなく、金無垢です。

記者:フランス語で言う「上等品」ですね。
:その通りです。

記者:(ブレスレッドを指しながら)そのブレスレッドは実に見事です! 華麗ですね。
:それは女性用です。

記者:宝飾をデザインしている時は、特別な状態にあるのですか? あるいは、何か特別な事にあなたのインスピレーションが啓発されるのですか?
:私のインスピレーションは神から来ます。

記者:詩を書いたり、絵を描いたりする時もそうなのですか?
:そうです。私はこれまでデザインを学んだことはありませんが、長年メディテーションをしてからインスピレーションが湧くようになり、今では服のデザイン、ジュエリーのデザイン、画作、その他たくさんの事をしています。

記者:そちらの大きなネックレスもたいへん素晴らしいですね。やはりゴールド製ですか? ご説明くださいますか。
:それは「内なる力の交流」と言います。上面に施された宝石はオーストラリアン・オパール、本体はゴールド製で、いろいろな方法で処理されています。(ネックレスの各部を指し示しながら)例えばこの部分は霧面処理で少し鈍く光るようにして自然な感じです。そして、この部分はより光沢があります。このようにデザインしたのは、芸術的に、そして人目を引くようにするためですが、肯定と否定のパワー、いわゆる「陰陽」を象徴するためでもあるのです。

記者:そうすると、これによってスピリチュアリティーの再発見ができるのでしょうか?
:はい。ダイヤモンドは私たちの永久不滅の真我を表します。私たちが探した選り抜きのオパールは最高の品質と色です。これほど大きく、色もこんなに美しいオパールは非常に稀です。

記者:引続きあなたの作品についてうかがいます。色の選択は重要ですか?
:重要です。色が良くなければ、人を引き付けません。

記者:ええ、当然ですね。言葉を換えてうかがわせてください。色の選択には意味があるのでしょうか?
:はい、あります。特別な意味があります。例えば、これはホワイトダイヤモンドと黒曜石を使っていて天国と地上を表しています。そしてセット名は「彼岸へ」と言います。あたかも彼岸へ人々を運ぶ渡し舟のようです。

記者:テレビをご覧のみなさんにこの作品をお見せしなければなりませんね。(ネックレスを手にしてカメラに向かう)。実に美しい。
:そうですね。これは完璧な解脱法を象徴しているのです。どのようにメディテーションをして、この生涯において内面の平安を見つけて解脱するかを、私たちが人々に教えるのと似ています。この船は人々を乗せて大風や荒波を越え、安全に彼岸へ到着することを表しています。

記者:この様なジュエリーを身に着ければ、心地よく感じるのでしょうか?
:自分の偉大な本質に気づき、天国の自在さを思い起こすでしょう。そして、修行して完璧な境界(きょうがい)に到達し、最後には自らのマスターになるようみなさんを励ましてくれます。その時には俗世の悩みを忘れるでしょう。海に浮かぶ船のように、すべての悩みを超越するのです。

 

フィガロ誌、フランス国際放送局、ラジオEnglish記者による
独占インタビュー

1997.1.24(フランス語・英語)ビデオテープNo.629

記者1:あなたのデザインするジュエリーは私たちをもう一つの別の世界に連れて行ってくれるようですが、その世界は現実ですか?
:それは最も本物の世界です。実際、あらゆるマスターと宗教の経典が、この世界は幻影であると私たちに告げています。そして私たちが内面に向かって探している世界、イエス、ムハンマド、あるいは仏陀が追求したような世界こそ、真実の世界であると。私たちが静かに瞑想している間に見つけ出す真実の世界です。そしてこれらのジュエリーこそが、人々に内在する天国の美を喚起するためのものなのです。

記者1:あなたはなぜ一つひとつのジュエリーに特別な意味を与えることまでなさったのですか?
:それは、私たちが生まれてきた最大の目的は、内在の天国を探し、内なる智慧と神の本質を探し出すことだと考えているからです。ですから、何であれ、この王国に連れ帰ることができるのならば、それが最高の方法なのです。ジュエリーや衣服、生活スタイル、そして私たちが行う一つひとつがすべて、私たちの神の王国の記憶を取り戻す手助けのためであるべきです。それこそが、私たちの生命の目的です。

記者1:あなたのデザインしたジュエリーは、それを身に着けた人や周りの人に影響を及ぼしますか?
:やはり身に着けた人が自らに影響を及ぼすと思います。なぜなら、もしこういったジュエリーを気に入ったのであれば、それはその人がすでに天国を思い出したい、常に自己を喚起し、天国の美の雰囲気の中にいたい、という意向を持つことを表しているからです。

記者1:宗教と釈迦牟尼仏陀はあなたの創作にどの程度の啓発作用をもたらしていますか?
:釈迦牟尼仏陀だけではありません。あなたが思いつく限りのあらゆる偉大なマスター、例えばイエス、ムハンマド、釈迦牟尼仏陀などがみな私の師なのです。なぜなら、これらの偉大な天国の衆生、偉大なマスターたちはみな私たちに同様のことを教えているからです。この世で良いゲストとなること、良い人生を送ること、そしてまた私たちの源が天国、あるいは仏土にあることを思い起こすように教えました。両者は、名称は違っても私にとっては同じなのです。

記者1:このシリーズのジュエリーを、もし一つの言葉で表すとすれば、「神」、「智慧」、それとも「天国」ですか?
:私たちはこれらのジュエリーを「セレスチャル・ジュエリー(天国の宝飾)」、「セレスチャル・コレクション・オブ・ビューティー」と称しています。ジュエリーの他に、各種のセレスチャル・クローズ、ランプや絵画などの室内装飾品もあります。どの作品のインスピレーションもすべて天国から来るのです。私のような平凡な人間には、このように美しい芸術品は創作できないと思います。完全に天国からのインスピレーションによるものです。ですから私たちは、「セレスチャル・コレクション・オブ・ビューティー」と呼ぶのです。

記者1:衣服、ジュエリー、詩とあなたはかなり趣味の広い方のようですが、特にお好きなものはありますか? あるいはどの分野もみなお好きなのですか?
:実のところ、私の行ったどの仕事も好きです。なぜなら、すべて私がしたことではなく、内在の天父が私を啓発し、手伝い、一切を実現させたからです。というのは、そういったことを私はこれまで勉強したことがないからです。絵画も、ジュエリーや衣服のデザインも学んだことがありません。そういうことに関して何のアイディアも湧いたことがありませんでした。しかし、長年のメディテーションの修行を経て内面に智慧を見出してからは、自然に創作能力を持つようになったのです。

記者1:あなたがジュエリーを創作する目的は何でしょうか?
:最も主要な目的は、人々に天国の美を喚起することです。ですから、どのジュエリーセットにも固有の名称があります。このジュエリーコレクションの総称は「セレスチャル・ジュエリー」で、さらにどのデザインにも個別のかなり霊的な名称があります。例えば、「彼岸へ」、「解脱」、「智慧眼」、「未来仏」、「メディテーションする観音」、「達磨」、「神の子」、「小天使」などです。これらの高雅な名称はすべて天国と関係があり、私たちの内なる本質を喚起するのです。
 第二の目的は生計を立てるためです。この様にすれば弟子に頼る必要はありません。と言うのは、私は寄進を受けませんので。もちろん、これらのジュエリー、衣装、絵画によって多くの収入があります。そして、そのお金を、災害で困っている人や、貧しい人々、あるいは緊急な援助を必要としている人々に差し上げたいのです。

記者1:これらの創作に、通常あなたはどのくらいの時間を費やされますか?
:作品によって違います。比較的長くかかるものもありますが、わりに短時間のものもあります。最も長いもので約一週間で、最短でおそらく一日、中には30分でできることもあります。状況によってですね。時にはインスピレーションが満ち溢れ、一日の内に10や20もデザインできたり、あるいは一晩で30着の服をデザインできることもあります。そういう時は一晩中眠らず、夕方から翌日の明け方までずっと仕事を続けるのです。

記者1:あなたはたいへんお忙しいようにお見受けしますが、どのようにして時間を作るのですか?
:今お話ししたとおり、時々インスピレーションが泉のように湧き出ることがあって、一晩中、あるいは一日中仕事ができるので、一つの事を早く終わらせられるのです。それから、時間がある時にだけします。何かしたいと思った時は、自然に時間を探し出すことができるものです。

記者1:こういった芸術的なインスピレーションがあなたの弟子に伝わり、芸術家になることもあるのですか?
:ありますよ。一夜にして突然芸術家になった弟子もいます。突然詩を書くようになったり、急に絵の描き方や服のデザインの仕方がわかるようになるのです。本当に素晴らしいです。これは「伝わる」と言うことではなく、メディテーションがその人の持つ最高の才能をふさわしい時に発揮させてくれるのです。

記者1:あなたは他のデザイナーの作品を参考にして、そこから学ぶことがありますか?
:いいえ、人の作品を参考にしたことはありません。またその様な考えを持ったこともありません。私が携わるこれらの創作の源は、すべて自分の内なるインスピレーションです。もちろん、さまざまな創作分野で成果を発表してからは、自然に大勢の芸術家たちとふれ合う機会があり、時には互いに意見交換をすることもあります。しかし、それは後になってからのことで、私が多くの作品を創作したり、作品展を開催した後に起きたことです。

記者1:再び、あなたのインスピレーションの源についてですが、構図と色使いのインスピレーションはどこから来るのですか?
:内面から、頭の中から来るのです。時には図を描き始めないうちに、デザインや色が頭に浮かんで来ることもあります。ですから、忘れないうちに急いで描かなければなりません。

記者1:あなたのジュエリーの技術的問題についてお伺いします。あなたにとってインスピレーションが非常に重要なことは承知していますが、例えばダイヤモンドなどの材質についても、特別に注意を払って選んでいるのですか?
:そうです。材質などの細部に大きな注意を払っています。例えば、最高級のゴールドや宝石を使用し、色も厳選します。(「内なる力の交流」のネックレスのオパールを指しながら)このオパールの色も非常に珍しいものです。しかも、こんなに大きなサイズも、とても稀です。この様な大きくて美しいオパールを探し出すのは容易ではありません。私たちが使うゴールド、宝石、準宝石は、完璧な天国の本質を表すために、すべて最高級のものを選んでいます。

記者2:あなたはご自身のジュエリーすべてに、さまざまな意味を与えています。あなたは他の人がデザインしたジュエリーをご覧になった時も、その意味を説明しますか?
:そうですね、私は、芸術家がジュエリーを作った場合、本人のみがその作品に対して特定の意義を与える権利を持つと考えますので、他人の創作、インスピレーションや考え方には干渉しません。ただ芸術品として鑑賞するだけです。ですから、もし創作者が意義を与えたのならば、それを受入れますが、自分の観点から他人のデザインしたジュエリーや芸術作品を説明することはしません。

記者2:ありがとうございます。
:どういたしまして。私の回答にご満足いただけましたか?

記者2:満足です。ただ、もう一つおうかがいしたいと思います。私の指輪をご覧になって、その意味を少し説明していただけるでしょうか?
:あなたご自身がデザインされたのですか?

記者2:いえ、違います。そうではありません。
:でしたら、私には人の創作のインスピレーションを説明する権利はないと思います。あなたはこの指輪をデザインした方に質問なさったほうがよいでしょう。よろしいですか? 私は各自のインスピレーションと芸術的才能を尊重すべきだと思います。私もいつも自分のデザインしたジュエリーを身に着けているわけではありません。どなたがデザインされた作品であっても身に着けます。目的にかなった、よいデザインのものを目にすれば、購入することもありますし、プレゼントとして購入する場合もあります。しかし、他人の作品を説明することはしません。ただ購入するだけです。

記者2:今日は、なぜこのジュエリーセットを身に着けられたのか、お話しくださいますか?
:今日はたまたまグリーンの服を着ておりまして、(身に着けている「内なる力の交流」のネックレスとイヤリングを指して)このオパールと色がとても近かったので、二つがよく合うと思ったのです。普段、私は何でも調和して見えるように合わせます。そうすると、人が私を見た時に全体が一つになったように感じ、私の体から強烈なコントラストやぶつかり合うエネルギーは感じません。それで、私が着用するもののすべてが、内面と外面の平安と調和を象徴するわけです。

記者2:あなたはどんな材質が最も完璧さを表現できると思いますか? あなたが比較的お好きなのは、ダイヤモンド、ゴールドあるいは他の宝石ですか?
:私は神が創造されたすべて、たとえ一片の小石でさえも、その完璧な存在意義を有していると思います。ただ、この世界では、私たちは稀少な、より光り輝く石を選んで内面の光り輝く本質を表してきたのです。ですから同じようにそういうものを選ばざるを得ないのです。例えばダイヤモンド、オパール、ルビーのようなものです。世の中の人々はみな宝石が好きで、人に好かれないものを用いることはできませんから、みなの好む、また馴れ親しんだ材料を使って創作しなければなりません。
なぜ人は光り輝く物を好むのかというと、心の奥深いところで、まだ自分の光り輝く本質、内在の光を覚えているからです。だからこそダイヤモンドやルビーが好きなのであり、また、こういった物的財産のためではなく、魂が光の中に帰ること、内面の輝く永遠の天国に帰ることを渇望しているからなのです。ですから同じように、私はこういった長く保存できる材料を使用しているのです。

記者2:あなたのおっしゃるところの光とは、つまりあなたが前にお話しになった、釈迦牟尼仏陀の放った光のような、あなたの心を感動させる光ですか?
:これは内在の光を指します。絵画に見られるように、釈迦牟尼仏陀の頭上には光の環があります。イエス・キリストなどにも光背があります。あらゆる聖人の肖像画や彫刻に光の環が描かれています。聖人には確かに光があります。時には、私たちは智慧眼でよく修行している人が光を放っているのを見ることができます。実は、私たちの誰にでも光があり、紫の光の人もいれば、黒っぽい光の人もいますが、霊修の師は、より明るい光、とても明るい光があります。
 ですから、多くの人がダイヤモンド、ルビー、サファイアといった類のジュエリーを好みますが、それはそれらが輝いているからです。私たちが悟りを開いたときに見る内在の光にとても似ているのです。それで、私たちは「開悟(En-lighten-ment)」と言い、光(light)を見たと表すのです。だからこそ人はダイヤモンドや宝石が好きなのです。私は、さらに深い理由は、人々が自らの内在の光を好み、再びそれを見ることを渇望しているからだと思います。彼らは忘れていても、再び思い出したいと思うからこそ、ダイヤモンド、金、銀、サファイアなどの光り輝く物を好むのです。

記者2:あるいはまた、これらには永久性があるので、ジュエリーを身に着けることで光を保ちたいと願うのかもしれません。
:そうです。ジュエリーは不滅ですし、私たちの真我も不滅です。つまり、人々がダイヤモンドやゴールドなどを好むのは、自らの不滅の真我を思い出したい、内なる霊魂を思い出したいと渇望しているからだと思います。ですから実際には、人は物質そのものを好んでいるわけではなく、これらの輝く物質の持つ喚起作用が霊性面を思い出させてくれるから、それを大いに愛すのです。私のデザインするジュエリーばかりではなく、どんなジュエリーもみな同じです。私は人々が光り輝くジュエリーを愛するのは、これらの物が彼らの内側の光り輝く本質を喚起してくれるからだと思います。





甘露法語


私たちは他の人を尊重すればするほど、自分のエゴや傲慢さがより小さくなり、
傲慢な心が小さくなればなるほど、より上品に、より賢く、より自由になっていきます。この小さな自分という束縛から自由になり、神経質でなく、劣等感に苦しむこともなくなるでしょう。

  スプリームマスター チンハイ 香港 1989.9.24(中国語)


もっとメディテーションし、より努力し、より誠心誠意になるべきです。そして、マスターの教理や、なぜ自分がここにいるのかを心から理解するのです。私たちは自分の能力に従って行動すべきです。あまりに真剣になりすぎる必要もありません。さもなければ、極端に走ってしまうでしょう。
けれども、怠けすぎてもいけません。他の人々のレベルと格差が出るかもしれないからです。そうすると徐々に不快になります。自分の責任を果たしていないことがわかると後ろめたい気持ちにもなり、おもしろくなくなって他人を責めるようになるかもしれません。

  スプリームマスター チンハイ フォルモサ・西湖1992.1.26(中国語)ビデオテープNo.206




私たちは霊的修行をすればするほど、自分の問題をどう処理するか、より理解するようになります。自己の内面にある豊富な材料を知れば知るほど、どの場合にそれを応用するかが、よりわかるようになります。

  スプリームマスター チンハイ フォルモサ・西湖 1991.6.16 (中国語)ビデオテープNo.176




 もっと悟りを開きなさい。そうすればみなさんはより愛に満ちた人になるでしょう。それこそが悟りを開く目的なのです。悟りを開くことで私たちはより愛情深くなり、より寛容になり、より思いやりを持てるようになります。それこそが霊的修養の最高の成果なのです。

  スプリームマスター チンハイ アメリカ・シアトル 1993. 4.7 (英語)ビデオテープNo.348




私たちの人生で起こるあらゆる出来事は、私たちにとって自分が既にどれほど成長したか、どれほど霊的進歩を遂げたかを測るためのものです。もしみなさんにそのような見方ができるなら、それは素晴らしいことです。そして、可能な限り自分自身にとって最良の方法でその事に対してどう反応すべきか知るように努めなさい。

  スプリームマスター チンハイ アメリカ・カリフォルニア州ロングビーチ 国際禅五 
  1996.12.29(英語)ビデオテープNo.571






問答精選


メディテーションで修行の道を照らす

スプリームマスター チンハイ アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス 1996.3.14(英語)ビデオテープNo.537b


Q
: 霊的修行者として、私たちはみな、メディテーションをすることによって悟りを開くよう努力しています。私たちのレベルを向上させるためにメディテーションをするほかに、地球の住人として自分を向上させるために何かできることはありますか?

M
: メディテーションをすれば何をすべきかがわかるでしょう。本来そういうものです。私が現在行っているすべてのことで、みなさんが喜びを感じたり気に入ったりしていることは、すべて私がメディテーションをした成果なのです。メディテーションをする前に行ったものでもないし、メディテーションをしながら行ったものでもありません。時には、すべての答えがメディテーションを通じてやって来ることもあります。そして、私たちのすべての行動はその智慧によって導かれるのです。
 それが一番です。まずメディテーションをすれば、すべてのことは後からついてきます。成果がないのを心配するのではなく、十分にメディテーションができているかどうかを心配してください。

 

霊的な動機はすべての行為の支えとなるべき

スプリームマスター チンハイ 韓国・ヨンドンセンター 国際禅六 2000.5.12. (英語) ビデオテープNo.701

Q: 私はこの世の多くのカルマは、動物を殺したり虐待したりすることから生じていると考えています。ですから、もし私たちがこの考え方をゆっくりと浸透させていけば殺生が少なくなり、この地球の因果も改善されます。そうすれば他の多くのことも向上するのではないでしょうか。

M
: それはもうみんなが知っていることです。今やこの地球上のほとんどの人が、菜食の利点に気づいています。私たちの仕事は菜食の促進ではありません。霊修の道を熱望するなら菜食は不可欠です。ですから、神を知ることを強く望む人は誰でも菜食を受け入れます。

Q: もし人々が神を受け入れなくても、少なくとも菜食を受け入れたら、何かの手助けになりませんか?

M
: いいえ、それほどたいした手助けにはなりません。なぜなら菜食の動機こそが一番重要だからです。内なる愛を開拓しなければ、菜食をしても単に虚しい行為にすぎないのです。ですから霊的な動機が私たちの行為の支えになるべきで、その反対の表面的な行為が霊的動機のもとになるのではありません。そういうわけで、重要なのは一人ひとりの内在の愛を啓発させることです。私がすることはすべて、世間の人々の内なる愛を目覚めさせることなのです。いったんそれを知りたいと熱望すれば、他のすべてがより自然に発展します。

Q: はい、その方がずっと素晴らしくて高尚な目的ですね。

M
: そうでなければ、あなたは人々にベジタリアンになることの利点を説くこともできるでしょう。たとえば、より健康的な生活になることとか、地球の救済になることなどです。それはあなたがする事ではなく、動機のエネルギーとなるものなのです。

Q: ある夜、夢の中に牛や豚が現れて、彼らを救うことになるので私に菜食主義を広めてほしいのだと感じたのです。

M
: いいでしょう。それならやってご覧なさい。あなたはテレビで宣伝しても良いでしょう。私たち一人ひとりがいろいろなことをできます。

Q:こうした豚や牛も衆生なのですよね?

M
: 彼らも衆生です。彼らはあなたと縁があって、あなたは彼らの救世主なのかもしれません。彼らのために何かしてみたらどうですか?

Q: はい。 ありがとうございました、マスター。

M
: どう致しまして! 私たち一人ひとりが別の方向へ行くことを選択できます。それでも構いません。誰もが何かしらできるのです。修行仲間の中には菜食食材などを作っている人もいます。それも良いでしょう。けれども、もしあなたが私に菜食の話だけのためにテレビに出ることを勧めるのなら、みんなは私を見ても菜食主義のことしか思い浮かばないでしょう。その後、私の所を訪ねて来ても、すべて菜食のためだけになってしまいます。けれども、人に菜食を勧めるのは私の仕事のほんの一部なのです。ですからそれを私の主な仕事とするなら、もちろん手助けにはなりますが、それではゆっくりすぎます。魂一つ救わないうちに、私は往生してしまうかもしれません。ですから、みなさんの中の誰でも、菜食を広めたいならそうしてください。禁煙運動に加わる人もいれば、菜食を広める人がいるかもしれません。これはとても良いことです。



智慧の真珠

墓は死者の家ではない

多くの人が、やはりこんなふうなのです。
生きる道をずっとずっと歩きますが、「家」がどこなのか知らないのです。
死が訪れた時「家に帰る」と言いますが、どこの家に帰るのでしょうか?


スプリームマスター チンハイフォルモサ・西湖(中国語) 1995.9.17 ビデオテープ No.500

  人は死後、国王、あるいは何者であるかにかかわらず、この物質である肉体はみな一様に動物にあさられ、昆虫に食べられ、そして時間がたつに従って分解し、最後には大自然に返ります。それをとどめて置くことのできる人は誰もいません。一部の古代エジプトや、ほかの国家の王は、かつて遺体の保存法を考え、薬物を用いてそれをミイラにしました。しかし、ミイラの体はやはり生前とは異なり、考古学以外には何の役にも立ちません。

  考古学者は往々にして、死後二千年の死体を掘り出すためだけに大金を費やし、多くの人力と時間をかけます。そして持ち帰り、そこに置いて人々を楽しませます。人間のなすことは、時にとてもおかしなものです。おかしなことをたくさんしますね! 一日中、ただ飢饉の問題について討論するだけで、この辺りはお金が足りない、あの辺りは食物が足りないとわめき、各地の災難には構わず、逆にわずかな死人や紀元前の動物などに関心を持ちます。そういった恐竜の化石や死人の骨を掘り出すためにたくさんのお金を費やし、多くの人の命を危険にさらし、また多くの病原菌に感染する危険も冒します。

  というのは、そういうものを発掘すると、致命的な病毒も一緒に掘り出してしまうこともあるからです。この様な状況は予想する方法がありません。時には原始林の中へ入って木を伐り、その辺りの細菌に触れてしまうこともあります。そういった細菌は森林の中に何千万年も隠れていて、人に触れられたことがありませんから、万一誰かが感染しても、それを治せる薬はほとんどありません。人がこうして勝手に掘り出し、勝手に木を伐ることで、そういう病原菌が広まるのです。それで、現在は治療法のない病気がたくさんあるのです。

  これはとても怖いことです。多くの細菌や毒薬が入れられている墓もあります。他人が墓を掘り起こして中の装飾品や宝物を持ち去ることを避けるために、事前に予防措置をとってあるのです。もちろん、やはり最後には持ち去られた宝物もあるかもしれませんし、細菌は最初の何人かの墓荒らしに影響しただけで、最後の人は運良く影響を受けずに宝物を取り出せたかもしれません。しかし、このようにすると世界にとっては、やはり多くの損害があります。

  この世の人のすることはみな逆さまです。人は生きている時こそが最も重要なのですから、体に栄養を補い、健康を維持して、何らかの社会の利益になることや生活に役立つことをして、幸せに楽しく過ごすべきです。生きているうちに互いを大切にし合うべきなのであって、死んでから大騒ぎして、大通りを交通渋滞にさせ、たくさんの豚や牛を殺してご馳走し、たくさんの殺生のカルマを作るべきではありません。

  「地蔵王経」に書かれています。人は死後、もし他人が彼のために殺生をしたなら、死者もその報いを引き受けなければならない。あるいは、子供が生まれてから何かの神や死者の霊に対して殺生して供養すると、その母親と子供も良くない影響を受け、時には原因不明の病気になる、と。つまり、殺生のカルマが母子の健康に影響を及ぼすのです。もし家族が亡くなった人に、殺生して供養すると、彼らの自由の妨げとなって彼らの福報は減少し、彼らは早く解脱することや、死後に、より高い境界(きょうがい)に行くことができなくなります。この世の人のなすことは、好意からしたことが人に害を与えることもあるのです。それは、古代の経典をよく研究しないからです。古代の聖賢は私たちにたくさんの智慧を教えていますが、私たちはみな聞き入れません。それどころか、自分は仏教徒であると称しながら、「地蔵王経」に何が書かれているかを知らないのです。わかれば自分で殺生して食べることなどしませんし、ましてや、他人のために殺生するなど言うまでもありません。

  多くの人が意味のないことをします。身内の者が亡くなると「よい」墓地を買うために、どんなお金でも惜しまず支払い、どんな土地でも惜しまず買います。しかも高価であればあるほどよく、それは亡くなった人を利用しようとするためです。すでに死んでしまっているのに、まだ両親を利用して子孫を保護してもらおうとします。そのとても高価な土地は、彼らを安らかに眠らせるためのものではなく、子孫を護ってもらうために買うのです。支払う金額もきっちりと計算しています。土地を買って墓を立てるために数百万元を費やす人や、甚だしくはさらに高価なものを買う人もいます。

  お金のない子孫もいますが、それでも墓地を買うためには全財産を持ち出さなければなりません。子孫がそれ以後、繁栄するかどうかはわかりません。しかし、現在、その前に餓死してしまいます。なぜなら、すべてのお金をそこに注ぎ込んでしまったからで、もちろん商売などできません! もしそのお金を手に商売ができれば、家はすぐに繁栄します。身内の死体と霊魂を墓場に閉じ込める必要がどこにあるのでしょうか。すでに死んでいるのに、まだ子孫の面倒を引き続き見なければならないのでしょうか。こうすることがつまり「孝行」です。そうしなかったら、人はみなさんを良い子孫でないと言うでしょう。世の中はおかしくありませんか?

 

生きている間に、先ず家路を探そう


生きている間に家への帰路を探さなければ、自分の本当の家はどこなのかわからず、死んでからどこへ行くべきか面倒を見てくれる人はいません。人がもし一日中歩いて、自分の家がどこにあるかを知らず、しばらくしてもどこへ戻るのかもわからなかったとしたら、その人は頭に問題がありますよね? 多くの人が、やはりこんなふうなのです。生きる道をずっとずっと歩きますが、「家」がどこなのか知らないのです。死が訪れた時「家に帰る」と言いますが、どこの家に帰るのでしょうか? 生きている時に知らないのに、死んでからどうしてわかるのでしょうか? 生きている時にしっかり世話をせず、死んでから墓場の辺りにしがみついても、そこは私たちの本当の家ではありません。なぜなら、墓も永久ではなく、しばらくして戦争や地震があれば、墓だって消えてしまうのですから。その時、あなたの「家」はどこにあるのですか。





話の宝箱

馬おじさんの物語

フォルモサ・台中 陳素雲(中国語)

1987年9月、マスターがフォルモサ・台南県の麻豆にある、お年寄りが暮らす「普門仁愛の家」という所で経営者の黄振茂氏の推薦により6日間連続の講演会に招請された時、私はそこで秘書として働いていました。講演会が終了した9月28日、マスターは真剣に修行を望む人たちに自ら印心を授けました。こうしてこの時から、80歳という高齢の馬おじさんと私は観音ファミリーの一員となったのでした。

  馬おじさんは独身の退役軍人で、晩年を仁愛の家で過ごしていました。彼は60歳の時に卒中で倒れ、リハビリ後もやはり半身不随で、話す時は口からよだれを流していました。このような健康状態で彼はマスターに会ったのですが、それでも印心を受けることができました。そして彼は自分の人生がそう長くはないことを知り、勤勉に修行をする決心をしました。彼の印心後の人生を見ると、観音法門の修行がもたらした奇跡を知ることができるでしょう。


                       修行に精進する


  「仁愛の家」とはいわゆる老人ホームで、居住者たちは決まったスケジュールに従って過ごしています。夕食は6時で、その後はテレビを見にメインホールへ集まります。しかし馬おじさんは一人自室に戻り、睡眠をとるようにしていました。そして真夜中の12時に十分に元気が回復したところで朝の6時までメディテーションをし、その後体をほぐすために体操をしたり、時にはホームの環境整備員を手伝ったりすることもありました。7時に朝食を終えると、また自室で仮眠をとり、それから散歩に行ったり、町へ買い物に出かけたりしたものでした。12時の昼食後には、少し休んでから、もう2時間メディテーションをしました。このようにして彼は1日8時間メディテーションをして、さらに毎日のメディテーションの時間を詳細に記録しました。

  当時台南の七股センターでは毎週火曜と木曜にグループメディテーションが行われており、地元の仲間が馬おじさんを車で迎えに来てくれていましたが、彼は決して欠席しませんでした。また、西湖でリトリートがあると、率先して参加しました。半年もたたぬうちに、以前は動くことが困難だった馬おじさんは生まれ変わりました。口からしたたり落ちていたよだれは止まり、不自由だった手足は、すばやく動くようになりました。さらにくすんだように見えていた目も澄み切ってきらきら光るようになりました。

  マスターから印心を受けて以来、馬おじさんはいつもメディテーションの歓びの恩恵に浸っていました。そして、彼が体の不調を訴えるのを見たり聞いたりしたこともなく、また医者に診てもらう必要もありませんでした。唯一彼が医者に診てもらったのは、足の指の間から黄色い分泌液がじくじくとにじみ出てきた時だけでした。すると医者は、それは体内の毒素が自然に排泄されているのだから、良い現象であるといいました。

  こうして2年間の勤勉な修行が続いたある日、馬おじさんは「マスターが私に西湖道場の長住になるように指示したよ」と言いました。それで彼は事務手続きをしてホームを出る正規の手はずを整えた後、わざわざ我が家に立ち寄って私の夫に別れを告げ、私には勤勉に修行に励むように言いました。出発の時、笠を置いて行ったので、私はそれを渡すために彼が車へ乗り込んでいるところへ駆けつけました。しかし、彼はのんきな様子で、笑顔で手を振り「とっておきなさい。もう私には必要ないんだから」と言ったのです。


                   メディテーション中の旅立ち


  馬おじさんが西湖に行って3日目、ある長住が仁愛の家に電話をしてきました。馬おじさんがメディテーション中に亡くなったことを知らせるためです。聞いたところでは、地元の検事が死亡証明のために馬おじさんの写真を撮ろうとしたけれど、彼の体から発していた神々しい光があまりにも強すぎたため、ネガは全て露光してダメになってしまったそうです。

  生、老、病、死はすべての人間が避けて通れない過程です。仁愛の家にいる馬おじさんの仲間や私は、このことについて深く理解しました。ホームでは、長年病に伏せていて、生きながら死ぬよりつらい目にあっている人や、外見は健康そうでもひどいうつ病にかかっていて、一日中自殺を考えている人もいました。

  カルマの報いがドアをノックした時、どんなに優れた医者でも私たちを助けることはできません。計り知れないほど長い年月の生まれ変わりの中で、悟りを開いたマスターに遭遇することは非常に困難なことです。マスターによって伝授される観音法門こそが私たちを生死の輪廻から解脱させ、苦しみから逃れて幸福にしてくれるのです。馬おじさんの平穏な死は、これが真実であることを証明する最高のものであると私は信じています。




マスターが話す物語


宇宙における償いの法則

スプリームマスター チンハイ フォルモサ・西湖 1989.2.13−18(中国語)MP3−4

  私はかつて「償いの法則」についてお話ししたことがあります。しかし私だけがそのことについて論じているわけではなく、古代中国においてもすでにそれについて述べた人がいます。例えば、「列子」という本(中国の春秋戦国時代に書かれた道教の哲学書)には多くの使用人をかかえた大変裕福な男性の物語が描かれています。その男性は使用人に対して全く思いやりがなく、彼らがへとへとに疲れ果てるまでこき使いました。しかし食事はほんのわずかしか与えず、病気になっても薬をやらず、年老いた使用人が休息をとることも認めませんでした。

  その中でも大変年老いたある使用人は、一日中休むことなく働かなければなりませんでした。しかし彼は夜眠りにつくと、いつもとてもよい夢を見ました。これは私たち修行者の体験と同じようなものだったかもしれません。彼が観音法門を修行していたかどうかはわかりませんが。彼は夢の中で国王になって大勢の従者にかしづかれ、豊かで幸せな生活を送っていました。しかし、朝になり目が覚めると、再び使用人としての役目に戻るのでした。これは来る日も来る日も繰り返されました。ですから彼は毎日夜になるのを待ち望み、仕事が終わるとすぐにベッドにもぐり込んでは夢を見ました。(笑い) 彼にとっては夜の世界のほうが楽しいものだったので、毎日楽しみを享受するために太陽が沈むのを待っていました。   

  けれども、裕福な男性の状況は正反対でした。彼も毎晩夢を見ましたが、それは悪夢でした。夢の中では人からひどい目に合わされている奴隷や召使いになりました。彼は一日中疲れきるまで働かねばなりませんでした。しかし十分な食べ物や着るものは、ほとんど得ることができませんでした。彼には飢えや寒さ、極度の疲労、病気、苦労、そしてありとあらゆる不快な状況がありました。この二人は毎晩夢を見ましたが、一人は心地よい夢を、そしてもう一人は悪夢を見ていたのです。  

  毎夜悪夢にうなされて疲れていた裕福な男性は、ある日もう耐えられなくなり、夢判断をする人の所を尋ねて自分の苦しい状況を話しました。夢判断師は次のように言いました。「それはあなたが使用人たちを日中あまりにも酷使しすぎるため、そのカルマを担わなければならないからで、夜はこの苦しい状況に耐える必要があるのです。宇宙の法則はとても公平です。誰一人として苦しみすぎる必要はなく、また自分だけがいい思いをすることもできないのです」これを聞いてすぐに悟った金持ちの男性は、家へ戻ってからは使用人を大事にし、彼らに十分な食糧を与え、愛情深く世話をしました。それ以降、彼の病気は次第に良くなり、悪夢を見ることはあまりなくなりました。 

  こういった、カルマを担うという状況は確かに存在するもので、ないということはありません。誰かが私たちを叱るとき、私たちのカルマはその人に移ってしまいます。ですから人々に叱られることを恐れてはいけません。みなさんを叱ってくれる人が誰もいないこと、愛をもってみなさんを叱る人がいないことだけを心配しなさい。たとえ人が自分に対してひどい扱いをしたとしても、相手に感謝すべきなのです。この世界は本当にあべこべなのです。時には私たちも己を訓練すべきで、心地よくしすぎるのではなく、自分自身に対して少し苦しみを課すのです。あまりに快適すぎると他の面で、たとえば精神的に快適でなくなったりします。物心両面が快適である人はほとんどいません。なぜなら、もしあらゆる面で快適すぎると、自分の慈悲心を発展させたり智慧を開くことは困難であり、恩恵も減ってしまうからです。






笑い話

つまらない者になる前に大物になれ!
 

スプリームマスター チンハイ アメリカ・フロリダ 2001.12.27(英語)ビデオテープNo.734

 大司教が教会を視察中に、突然感ずるところがあって十字架の前でひざまずき、言いました。「ああ、神様。私を憐れみたまえ。私は本当になんでもない人間です。どうか憐れみを」すると司教は大司教がそうしているのを見て、隣にひざまずいて言いました。「ああ、神さま。お恵みを。私は名もない人間です。お慈悲を。私は何者でもありません」するとその教会の牧師が、大司教や司教の行いを見て、彼らの隣にひざまずき、言いました。「おお、神よ。お慈悲を。私はつまらない人間です。私は何者でもありません」。その傍らには、床の拭き掃除をしていた雑役夫がいました。彼らの様子をすっかり見ていた雑役夫も、隣で十字架の前にひざまずいて言いました。「ああ、神様。お慈悲を。私は何者でもありません。取るに足らない者です。ちっぽけな人間です」すると大司教がそれを見て言いました。「みんな、見てごらん。あいつまで、自分を取るに足らない者だなんて言っている!」本当になんと「謙虚」なことでしょう!




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